井出 穣治 『フィリピン 急成長する若き「大国」』
元IMF職員としてフィリピンに関わった日本銀行の井出氏が、フィリピンの近年の経済・社会について包括的に紹介する新書。
近年(少なくともCOVID-19の発生前まで)アジアの中でも急激な経済発展を遂げていた、かつての「アジアの病人」フィリピン。他のアジア諸国と大きく異なるのは人口動態であり、平均25歳という若さを誇る。少なくとも2050年までは人口ボーナスが続くと予想されている。1億人を超える人口の大きさや国民の大部分が英語を解するアドバンテージを活かし、出稼ぎ労働者からの送金と旺盛な消費、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)を主としたサービス業がけん引する経済発展が続いている。
他方で、経済格差やインフラの欠如の問題は深刻化しており、持続的な経済成長を成し遂げるためには、これら点への取組みが不可欠となっている。ただ、植民地時代から続く既得権益層の影響力は大きく、独立後から漸進的に進められてきた農地改革も未だ道半ばとなっている。経済的な困難の背後にある、こうした政治・社会のコンテクストも、同国の近現代史とあわせ、本書の後半で説明されている。最後の章は、同国が置かれた地政学上の状況と近年の外交(米中の狭間でバランス)、日本との関係(大戦後の反日感情から和解、強固な経済関係を構築)について割かれている。
現代フィリピン経済の現状・課題に加え、政治・社会・歴史の重要な要素にも目配りした網羅した、素晴らしい入門書。本書が出版されたのは前ドゥテルテ政権発足直後の2017年であり、その路線を引き継いだマルコス現政権の発足やCOVID-19による苦境といった直近のイベントへの言及はないものの、フィリピン経済の基本的なトレンドやその背後にある政治・社会の土台を理解するには十分。筆致も平易。本書の発刊後、これを超える深さと広がりで同国の経済・社会を解説した和書は出ておらず、フィリピンについて勉強したいと考える人にとっては最初に手に取るべき本。
((中公新書、2017年)
大木 毅 『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』
戦史・軍事史事著述家の大木氏が、最新の史料に基づいて第二次大戦中の独ソ戦を解説した新書。
独ソ戦は、スターリンの錯誤、ヒトラーとドイツ軍の楽観により始まった。当初ドイツの電撃戦は成功に見えたが、ソ連軍の抵抗と補給路の延伸より、ドイツ軍は徐々に消耗していく。ソ連軍は解散当時スターリンの粛清によりほとんどの将官を失っていたが、侵略の防衛という大義のもとで総力戦の体制を整えていく。
その中で、独ソ戦は、通常戦争に加え、収奪戦争と絶滅戦争の様相を強める。ナチスドイツの人種蔑視と「生存圏」思想、敵地での補給欠如は、ドイツ兵を様々な蛮行に走らせた。対するソ連も「大祖国戦争」の大義の下、プロパガンダで憎悪を煽り、ドイツ人捕虜や民間人への過酷な扱いを促す。
最終的にソ連は、大幅な追加戦力の動員と「作戦術」による戦略次元での優位、米英からの軍事支援を受け、戦争に勝利する。ただ、その損害は筆舌に尽くし難い。当時のソ連人口約1億8900万人のうち民間人を含め2700万人もの命が失われたとされる。絶滅戦争の性格ゆえに講和の道を選ばなかったドイツは、最終的に首都ベルリンへの侵入を許し、こちらも民間人を含め莫大な損害を出した。戦後、ソ連は、ドイツに代わり中部・東部ヨーロッパを事実上支配。今日のプーチン政権に至るまで、「大祖国戦争」の成果を、体制の妥当性を示す歴史的根拠として最大限に活用している。
ファーガソン『憎悪の世紀』でも描写された絶滅戦争としての独ソ戦の内幕が、最新の資料をもとに、きわめて平易な文章で記載されている。巻末の文献解題や軍事用語解説、年表も充実しており、このテーマに関する絶好の入門書になっている。為政者が民族対立を煽っている点や、侵攻側の楽観・戦略の欠如など、現在進行形のウクライナ戦争を彷彿とさせる箇所もある。このような情勢下、独ソ戦の経験を振り返ることの意義は、残念ながら今日でも決して薄れていない。
(岩波新書、2019年)
アレクサンドル・ソルジェニーツィン 『イワン・デニーソヴィチの一日』
スターリン体制下のソ連強制収容所での一日を描写した、文豪ソルジェニーツィンの処女作。
主人公のシューホフ(イワン・デニーソヴィチ)は、ドイツ軍の捕虜になった咎で強制収容所(ラーゲリ)での生活を余儀なくされる。収容所での生活は著者の実際の経験をもとに書かれており、その描写はディテールを極める。起床、点呼に始まり、日中は極寒の中で建設工事の労働にあたる。労働の後の食事、気を休める間もなく消灯。その中でも、シューホフは、自らの石工仕事の出来栄えを気にしたり、私心のない班員を気にかけて食べ物をくれてやったり、一端の人間性を失わないでいる。また、コックの目を盗んで食事の皿を多めに取ったり、他の班員が外から小包を受け取るのを助けて報酬をもらったり、厳しい生活の中でもしたたかに過ごしている。彼を取り巻く人間は多種多様な出自を持ち、彼らとの会話の中に、当時のソ連の社会の縮図が透けて見える。
本書は、著者の処女作にして最高傑作と呼ばれる。ディテールあれど無駄な描写はなく、そこに社会の縮図と人間味が浮き上がる。厳しい環境を描いていることに変わりはないのだが、したたかに立ち回り地に足をつけて生きる主人公の姿に共感するし、ときに温かい気持ちにすらなる。巻末の役者解説によれば、かつて本書が世に出る際、編集者は「作者は登場人物たちの運命に対して読者の心に哀傷と痛みをひきおこさずにはおかないが、その哀傷と痛みが絶望的な打ちひしがれた感情とは少しも共通点がないという点に、芸術家としての疑う余地のない勝利がある」と紹介したらしいが、まさにそのとおりと感じた。折に触れてまた読み直したい作品。
逢坂 冬馬 『同志少女よ、敵を撃て』
第二次大戦中の独ソ戦を舞台に、家族を奪われ復讐心に燃える女性狙撃兵セラフィマの成長と葛藤を描く。
ドイツ兵に家族と古郷を奪われたセラフィマは、狙撃手の過酷な訓練に耐え、戦場で仲間の死を乗り越えながら戦果を重ねる。ソ連軍もドイツ軍と同じように戦争犯罪を重ねていることを知り、女性を守るために戦うという動機を見出す。終盤、仇敵との決戦の中、師イリーナがおなじ志を持っていたことを知る。戦後、「愛する人」と「生きがい」の両方を見出し、再建した故郷の村で、実在するノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』の著者の取材に応じようとするところで物語は終わる。
平易な文章ながら、冒険やミステリーの要素も交えつつ、登場人物を魅力的に浮き立たせることに成功している。読後も、彼らの物語をもっと読んでいたい気にさせられる。命が淡々と奪われる苛酷な戦場と、そこで活躍した主人公がその先に見たものを対比することで、戦争の無為さを浮かび上がらせることに成功している。(著者も、別のインタビューの中で、この小説は反戦小説であると語っている。)豊富な資料の裏付けのもと、独ソ戦や当時の時代背景のディテールも細かい。
(早川書房、2021年)
ニーアル・ファーガソン 『憎悪の世紀 なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか』
『マネーの進化史』で知られるハーバード大学の歴史学者・ファーガソン氏が、「憎悪」をキーワードとして20世紀の戦争・紛争・暴力の歴史を描いた本。
ファーガソン氏は、20世紀、特に1940年代の初期に特定の地域(中部・東部ヨーロッパ、満州や韓国)で集中して暴力が起こった理由として、①民族対立、②経済の緊張、③帝国の衰退の3点を挙げた。①は、とくに国境近くで複数の民族が共存している場合(少数民族が存在する場合)、20世紀初頭から浸透していた人種主義が先鋭化したこと。②は、経済成長のばらつきや不安定さを指し、①と相関する。③は、20世紀初頭の西欧の没落(トルコやロシア、日本、ドイツといった新たな帝国の伸長)や、古い帝国が衰退し従来せめぎ合っていた地域や権力の空白が生じた場所において暴力の可能性が増すことを示している。具体的な例として、トルコによるアルメニア人虐殺を「帝国(オスマン・トルコ)が民族国家に変貌する際に、多民族体制を見舞う激動の恐るべき実例(上巻313頁)」として描いた。第二次大戦中のドイツによる東方拡大や日本の大陸侵略における民間人への蛮行の数々も、この文脈において描写されている。
捕虜や民間人に対する組織的な暴力が激化した要因として、ファーガソン氏は、日本の南京大虐殺を描写する中で、以下の3つの衝動が指揮官によってあおられたことを指摘する:①降伏した者に対する侮蔑の念(日本軍の兵士は、降伏するくらいなら自害すべきという教えを叩き込まれていた)、②他国の人を、人間より下等な存在だとみる考え方(職業軍人同士の対決ではなく、民間人を巻き込んだ絶滅戦争に発展する)、③レイプ。本能的な欲望、兵士の仲間意識による衝動の先鋭化。
第二次大戦、とりわけナチス・ドイツに関する描写にはひときわ大きな分量を割いている。「ドイツのファシズムだけが、名実ともに革命的で全体主義的だった(上巻380頁)」。経済危機からの迅速な回復と成長のためには東方の「生存圏」が必要であり、その中でヒトラーの人種主義が密接に結びついた。国民もこぞってこれを支持した。当時の世界情勢の中では自由貿易・平和主義による経済発展は考えづらく、日独伊の後発組は、景気回復の手段として再軍備を掲げ、植民地の獲得を重視するようになった。連合国は、東部・中部ヨーロッパや中国におけるドイツや日本の蛮行を受けて、正義が彼ら自身にあると信じるようになるが、実際のところは欧米列強も「倫理面で大幅に妥協せざるを得(下巻282頁)」ず、ドイツや日本における無差別爆撃や原爆の投下を行うに至って、ようやく第二次大戦は終結を見る。ただしそれも、別の全体主義国家と同盟を結んだうえでのことだった(本書は、スターリンがおこなった大規模な粛清や強制移住、少数民族への弾圧についても詳細に触れている)。
第二次大戦後、世界帝国どうしの間での戦争は起こらなくなり、戦争・紛争は局所化した。その理由として、ファーガソン氏は、①各地の「民族浄化」を経て少数民族の人口が減り、各国社会の均質化が進んだこと。東西冷戦により中部ヨーロッパが事実上消失したこと(「壁は戦争よりはるかにマシ」)。②経済が全体的に安定し、ナチス・ドイツのいう「生存圏」のロジックがなくなったこと、③帝国、とくにイギリスの衰退が継続し、中東やアフリカでの混乱を招いたことの3点を挙げた。とはいえ、局所化した戦争・紛争においても、捕虜や民間人も対象とした組織的な暴力が発生するメカニズムは変わらない。1990年代に入ってからの旧ユーゴ紛争やルワンダ内戦も、上記の①民族対立、②経済の緊張、③帝国の衰退の3つの要因の文脈のなかで説明されている。
ファーガソン氏は、人間が生来もつ「憎悪」に注目し、フロイトの発言「人間には、性欲本能や保全・団結本能などと並んで、破壊し、殺害したいという本能がある」「生きものは、外部のものを破壊して自らが生き延びたいと図るもの」「人類が持つ侵略的・攻撃的な傾向を抑制することは、きわめてむずかしい」を引用した。その上で「21世紀は、対立の世紀であってはならない。たとえ経済状況がおもわしくなくても、戦争の引き金になりかねない民族の対立や帝国間の確執をもたらす要因を取り除き、人類の中に眠っている悪しき性格を排除したいものだ。私たちには、まだ悪をそそのかす悪質の力が救っているのだから」と本書を締めくくっている。付録では、20世紀の戦争の特性として、①西洋社会の戦争形態の変化(社会的な制約や組織・技術のタガが外れ、死亡率が跳ね上がったこと)、②「文明国の指導者が、自国民の、他人を殺したいという最も原始的な本能に訴えかけることに成功した(下巻465頁)」ことを挙げた。
なぜ戦争や暴力がなくならないのか。その理由の一端を、本書で理解することができる。ファーガソン氏が挙げた20世紀の暴力の3つの要因の枠組みは、現在進行形のウクライナでの戦争をはじめ、現代の戦争を分析する際にも一定の理解の助けになる。報道されるロシア兵の蛮行は、かつて東部・中部ヨーロッパで行われた絶滅戦争における民間人の惨禍を思い起こさせる。視野を広げると、欧州諸国では極右の台頭や民族排斥の動きがじわじわと進んでいる。世界は、米国に代表される民主主義と、中国に代表される権威主義の2つの陣営に分断されつつあるように見える。21世紀に入って戦争の件数や規模自体は前世紀に比べて落ち着いたが、ファーガソン氏が本書の巻末で鳴らした警鐘が過去のものになったわけでは決してない。
(2007年、早川書房、仙名 紀 訳、上・下巻。原著:Niall Ferguson. "The War of the World: History's Age of Hatred" 2006.)
ブラッドレー・マーティン 『北朝鮮「偉大な愛」の幻』
後継者の金正日は、宣伝・文化の専門家として頭角を表した。金日成を偶像化し、その個人崇拝を究極まで高めるの役割を担う。そして、自ら三代革命小組を組織し、父の後継者となる上で邪魔となる旧世代を尽く排除する。1974年に設立した党中央の「39号室」は、外貨処理と輸出管理を担い、政府の目が届かない金正日の隠し財源として機能した。こうした個人的な支出、巨大なモニュメントや祭典、軍需支出の優先は、民生部門の低迷を招く。著者は、金正日の特質として秘密主義と嫉妬心を挙げている。「もしある地方でそこの長である党書記が住民に信頼されていれば、その書記は必ず配転させられ」たという。
邦訳:朝倉和子、2007年、青灯社、上・下巻)
イアン・エアーズ 『その数学が戦略を決める』
本書の議論は、企業や政府の意思決定に関係する数多くの事例でもって進められる。原著は2007年とやや古いが、その時点でも既にすでに米国でこれだけの数のRCTの実績があり、政府や企業の意思決定に活用されていることに驚きを覚えた。著者によれば、このトレンドは、統計技法(昔からあった)や計算処理能力というよりは、記憶容量の技術進歩によるところが大きいという。(当方は、まだせいぜい1MB程度のフロッピーディスクが主流だった頃を覚えているが、今や128GBのUSBメモリがコンビニで買えるような時代である。)
翻訳:山形 浩生 訳、2010年、文春文庫)