Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ブラッドレー・マーティン 『北朝鮮「偉大な愛」の幻』

 米国人ジャーナリストのマーティン氏が、文献調査や現地取材、亡命者からの聞き取りによって、北朝鮮の内実を解き明かす本。

 

 時系列でいうと、金日成の生い立ちからから建国、金正日への権限委譲、金正日によって軍事独裁国家になるまでの北朝鮮を描く。執筆に13年間かけただけあって、上・下巻で1,000頁を超えるボリューム。亡命者へのインタビューの対象は、金正日に近い場所にいた側近から、軍の兵士、民間人の主婦に至るまで多様。その中から、金一族がどのように世襲一族を作り上げたのか、金正日の行動原理は何か、国民はどのような生活を送っているのかが見えてくる。原著の発行は2004年とやや古いが、金日成金正日によって築かれた路線は今の金正恩体制にも引き継がれており、今後の北朝鮮の動向を占う上でも参考になる本だと思う。

 

 本書の序盤、金日成の生い立ちを明らかにする下りで、著者は、金日成の行動原理を「巨大な自己愛」であると説く。史料を読み解けば、1930年代の抗日ゲリラ闘争時代は「大隊レベルの指揮官で、上には中国人ばかりか朝鮮人の将軍たちがいた」。太平洋戦争後は、衛星国家樹立のために時間を稼ぎたいソ連の思惑に乗り、他の朝鮮人リーダーが唱えた即時独立・即時統一案を排除し、1946年2月ソ連の後押しを得て行政トップの座につく。こうした「民族主義者」としてのイメージに傷をつけかねない経歴は、後に覆い隠された。朝鮮戦争も、南進により開戦したのは北であり、中国軍の助けを得て辛くも終戦に持ち込んだことは他国では事実だが、北朝鮮国内の人々には知らされていない。金日成は、反日闘争と朝鮮戦争の英雄、偉大なる建国者、真の民族主義者として個人崇拝を強めていく。
 後継者の金正日は、宣伝・文化の専門家として頭角を表した。金日成を偶像化し、その個人崇拝を究極まで高めるの役割を担う。そして、自ら三代革命小組を組織し、父の後継者となる上で邪魔となる旧世代を尽く排除する。1974年に設立した党中央の「39号室」は、外貨処理と輸出管理を担い、政府の目が届かない金正日の隠し財源として機能した。こうした個人的な支出、巨大なモニュメントや祭典、軍需支出の優先は、民生部門の低迷を招く。著者は、金正日の特質として秘密主義と嫉妬心を挙げている。「もしある地方でそこの長である党書記が住民に信頼されていれば、その書記は必ず配転させられ」たという。

 

 北朝鮮(金一族)の行動原理は何か。とある脱北者は「金日成が望むいちばん重要なものは米朝関係」の改善だと言う。自分たちはポスト冷戦時代にあっても他の共産国と違って自らの思想(民族主義)によって自立している、もっと平たく言えば「自分を認めてもらいたい」のであると。著者は、後段の章で、著者と同い年である金正日の行動原理を「面子」であると看破する。自分の面子や国の面子が潰されるのは許さない。「北朝鮮人にとって降伏は『死に等しい』のである。もしこれが正しければ、アメリカやその他の諸国の抱える問題は、金正日との交渉によって解決が可能である。相手が妥協すればーそして敵対心でなく敬意を示せばー金正日も妥協する。交渉してみればそれは証明できる。」

 

 とはいえ、その道のりは容易ではなさそうである。1990年代以降の北朝鮮は、権力基盤を固めた金正日の下、先軍政治の掛け声のもとに世界との緊張を一層深めた。時折、経済開放の兆しは見える。もし鄧小平時代の中国のように、トップの強い意思があれば、経済は世界と繋がり、人々は経済的自由を得て、飢えから解放される時代が来るかもしれない。しかし、著者がエピローグで悲観的に述べるように、現在の統治システムを維持しようとする体制の意志はそれ以上に強固であり、一向に揺るぐ気配はない。世界は、北朝鮮と辛抱強く向き合い、時間を掛けながら世界経済に組み込んでいく道を取るか。あるいは、しびれを切らして制裁を強め、北朝鮮の孤立化を進めることになるのか。世界が前者の道を望むのであれば、数十年単位の忍耐と一貫した戦略が必要である。しかし、残念ながら、先日の米朝首脳会談を見ても、今のところ交渉の主導権は北朝鮮の方にあるように見える。(本書を読む限り、かつて東欧諸国で起きたような急激な体制転換 をこの国に期待するのは難しい。北朝鮮の子供達は、無料公教育の制度のもと、保育園から高等教育までプロパガンダ教育を受ける。党直属の武装警察の規模は1990年代初めで30万人規模であり、誰もが常に監視されている。ソ連時代末期、旧共産圏の体制が軒並み瓦解する中、金正日は不穏分子の粛清と追放を更に徹底し、体制転換の芽をことごとく潰した。)

 

 最後に、人権侵害のことを書いておきたい。本書でも脱北者のインタビューにより、国内の強制収容所の内実が語られるが、その酷さは、筆舌に尽くしがたい。強制収容所の体験を描いた手記はこれまでも幾つか読んだが、本書で紹介される複数の脱北者の証言は、かの国の人権侵害の過酷さと規模の大きさ、体制が極めて組織的かつ長期に渡り実施していることをまざまざと教えてくれる。日本を含む近隣国の一般人の拉致も、もちろん言わずもがなである。

 

(原著:Bradley K. Martin “Under the Loving Care of the Fatherly Leader” 2004.
 邦訳:朝倉和子、2007年、青灯社、上・下巻)