Foomin Paradise (読書ブログ)

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ニーアル・ファーガソン 『憎悪の世紀 なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか』

 『マネーの進化史』で知られるハーバード大学歴史学者ファーガソン氏が、「憎悪」をキーワードとして20世紀の戦争・紛争・暴力の歴史を描いた本。

 

 ファーガソン氏は、20世紀、特に1940年代の初期に特定の地域(中部・東部ヨーロッパ、満州や韓国)で集中して暴力が起こった理由として、①民族対立、②経済の緊張、③帝国の衰退の3点を挙げた。①は、とくに国境近くで複数の民族が共存している場合(少数民族が存在する場合)、20世紀初頭から浸透していた人種主義が先鋭化したこと。②は、経済成長のばらつきや不安定さを指し、①と相関する。③は、20世紀初頭の西欧の没落(トルコやロシア、日本、ドイツといった新たな帝国の伸長)や、古い帝国が衰退し従来せめぎ合っていた地域や権力の空白が生じた場所において暴力の可能性が増すことを示している。具体的な例として、トルコによるアルメニア人虐殺を「帝国(オスマン・トルコ)が民族国家に変貌する際に、多民族体制を見舞う激動の恐るべき実例(上巻313頁)」として描いた。第二次大戦中のドイツによる東方拡大や日本の大陸侵略における民間人への蛮行の数々も、この文脈において描写されている。

 捕虜や民間人に対する組織的な暴力が激化した要因として、ファーガソン氏は、日本の南京大虐殺を描写する中で、以下の3つの衝動が指揮官によってあおられたことを指摘する:①降伏した者に対する侮蔑の念(日本軍の兵士は、降伏するくらいなら自害すべきという教えを叩き込まれていた)、②他国の人を、人間より下等な存在だとみる考え方(職業軍人同士の対決ではなく、民間人を巻き込んだ絶滅戦争に発展する)、③レイプ。本能的な欲望、兵士の仲間意識による衝動の先鋭化。

 第二次大戦、とりわけナチス・ドイツに関する描写にはひときわ大きな分量を割いている。「ドイツのファシズムだけが、名実ともに革命的で全体主義的だった(上巻380頁)」。経済危機からの迅速な回復と成長のためには東方の「生存圏」が必要であり、その中でヒトラーの人種主義が密接に結びついた。国民もこぞってこれを支持した。当時の世界情勢の中では自由貿易・平和主義による経済発展は考えづらく、日独伊の後発組は、景気回復の手段として再軍備を掲げ、植民地の獲得を重視するようになった。連合国は、東部・中部ヨーロッパや中国におけるドイツや日本の蛮行を受けて、正義が彼ら自身にあると信じるようになるが、実際のところは欧米列強も「倫理面で大幅に妥協せざるを得(下巻282頁)」ず、ドイツや日本における無差別爆撃や原爆の投下を行うに至って、ようやく第二次大戦は終結を見る。ただしそれも、別の全体主義国家と同盟を結んだうえでのことだった(本書は、スターリンがおこなった大規模な粛清や強制移住少数民族への弾圧についても詳細に触れている)。

 第二次大戦後、世界帝国どうしの間での戦争は起こらなくなり、戦争・紛争は局所化した。その理由として、ファーガソン氏は、①各地の「民族浄化」を経て少数民族の人口が減り、各国社会の均質化が進んだこと。東西冷戦により中部ヨーロッパが事実上消失したこと(「壁は戦争よりはるかにマシ」)。②経済が全体的に安定し、ナチス・ドイツのいう「生存圏」のロジックがなくなったこと、③帝国、とくにイギリスの衰退が継続し、中東やアフリカでの混乱を招いたことの3点を挙げた。とはいえ、局所化した戦争・紛争においても、捕虜や民間人も対象とした組織的な暴力が発生するメカニズムは変わらない。1990年代に入ってからの旧ユーゴ紛争やルワンダ内戦も、上記の①民族対立、②経済の緊張、③帝国の衰退の3つの要因の文脈のなかで説明されている。

 ファーガソン氏は、人間が生来もつ「憎悪」に注目し、フロイトの発言「人間には、性欲本能や保全・団結本能などと並んで、破壊し、殺害したいという本能がある」「生きものは、外部のものを破壊して自らが生き延びたいと図るもの」「人類が持つ侵略的・攻撃的な傾向を抑制することは、きわめてむずかしい」を引用した。その上で「21世紀は、対立の世紀であってはならない。たとえ経済状況がおもわしくなくても、戦争の引き金になりかねない民族の対立や帝国間の確執をもたらす要因を取り除き、人類の中に眠っている悪しき性格を排除したいものだ。私たちには、まだ悪をそそのかす悪質の力が救っているのだから」と本書を締めくくっている。付録では、20世紀の戦争の特性として、①西洋社会の戦争形態の変化(社会的な制約や組織・技術のタガが外れ、死亡率が跳ね上がったこと)、②「文明国の指導者が、自国民の、他人を殺したいという最も原始的な本能に訴えかけることに成功した(下巻465頁)」ことを挙げた。

 

 なぜ戦争や暴力がなくならないのか。その理由の一端を、本書で理解することができる。ファーガソン氏が挙げた20世紀の暴力の3つの要因の枠組みは、現在進行形のウクライナでの戦争をはじめ、現代の戦争を分析する際にも一定の理解の助けになる。報道されるロシア兵の蛮行は、かつて東部・中部ヨーロッパで行われた絶滅戦争における民間人の惨禍を思い起こさせる。視野を広げると、欧州諸国では極右の台頭や民族排斥の動きがじわじわと進んでいる。世界は、米国に代表される民主主義と、中国に代表される権威主義の2つの陣営に分断されつつあるように見える。21世紀に入って戦争の件数や規模自体は前世紀に比べて落ち着いたが、ファーガソン氏が本書の巻末で鳴らした警鐘が過去のものになったわけでは決してない。

 

(2007年、早川書房、仙名 紀 訳、上・下巻。原著:Niall Ferguson. "The War of the World: History's Age of Hatred" 2006.)