Foomin Paradise (読書ブログ)

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坂井 榮八郎 『ドイツ史10講』

 ドイツ近代史を専門とする坂井氏が、ローマ帝国時代以降のドイツ史を、10章の講義形式でまとめた新書。

 個人的にドイツ史の中で昔から釈然としなかったのが、神聖ローマ帝国(862~1806)の位置づけで、特に中世のドイツは領邦制が主軸にあったとされる一方、この帝国もしっかりハプスブルク家の皇帝を戴いて領土やそれなりの統治機構を有していたという。坂井氏は本書で、ウェストファリア条約(1648)でドイツの領邦諸国家が実質的な国家主権が認められて以降も、帝国が「一定の地域内で多数の国が共食いもせずに共存した一種の域内平和機構として機能したという評価もあり、さらにはヨーロッパ共同体の先駆的モデルとする見方すらある」一方、「(帝国による経済関係の)殆ど唯一の成果である1731年の帝国ツンフト令が、その成立にほぼ半世紀を要したという事実そのものが、現実的課題への帝国の適応不能性を証明している」「(三十年戦争の)復興政策としての重商主義の主たる担い手は帝国ではなく、帝国の構成員としての個々の領邦諸国家である」と、帝国が徐々にその実体を失っていった過程を紹介している。

 この中世後期以降、同地域でオーストリアと並び存在感を高めたのがプロイセンで、「大選定侯」フリードリヒ・ヴィルヘルム(在位1640~88)以降の同国の指導者は、諸侯に様々な地方的特権を認める代わり、国王権力を支える強固な常備軍の建設と、その裏づけとなる強固な税財政制度と官僚制の整備に注力し、軍事国家として躍進することに成功した。ナポレオン1世の侵略により神聖ローマ帝国が崩壊した後、長い連邦時代を経て、普仏戦争の後に新たな統一帝国(1871~1918)を築き上げたのは、当時のプロイセンの「鉄血宰相」ビスマルクである。第一次世界大戦の敗戦によって瓦解するまで、この帝国は、強大な軍事力と当時世界最先端の研究開発、凄まじい経済成長によって、世界にその名を知られることになる。但し坂井氏は、この時期の帝国について、プロテスタントプロイセンカトリックバイエルン、都市と農村、上流階級と労働者階級など国内でも多数の差異が見られたことを指摘し、この時期のプロイセン=ドイツ、という人々が抱きがちな固定観念に警鐘を鳴らしている。

 また、「当時世界最先端の民主的な憲法を有したワイマール共和国(1919~33)は凄い」という漠然としたステレオタイプを持っていた当方にとって、坂井氏が本書で「人びとは、つきつめればドイツ帝国に慣れ親しんでいたのだ。権威主義的ではあるがドイツを大国たらしめた官僚政府のもとで、ドイツの発展がもたらした豊かさのパイにそれなりに与って暮らしてきた。そのドイツ帝国は崩壊し、皇帝はいなくなったけれども、国家・社会の枠組みは、実は特別に変わっていなかった。・・・そこで突然、政治のやり方が国民の選挙と、政党が運営主体となる議会政治に変わったのである。端的に言って、国民も諸政党も議会政治には慣れていなかった。政治的に成熟していなかった」と断じており、新鮮だった。ワイマール憲法は「旧左派自由主義の流れを引く民主党の内相プロイスが起草し、いわば理論的に最善の制度を目指して作られた」とのことだが、この時期のドイツ国民の政治的性格があくまで権威主義への回帰にあり、官僚や国家に対する盲目的な信頼にあった、とすれば、敗戦と恐慌で精神面でも経済面でもずたずたにされた当時のドイツにあって、国民による成熟した判断を伴わない政治制度の先進性が仇となり、ナチスによる強権的な新帝国の到来を許してしまった、というのはある程度合点の行く筋書きである。
 
 坂井氏は、現代ドイツを扱う最終章の中で、連邦制の意義を強調している。ドイツの連邦制は、各州が独自の議会と政府を持つことを可能にしており、文教政策などは完全に州の管轄で、各州の個別事情を勘案しながら、時には先駆的な実験をも含む極めて多様な政策を遂行しており、また各政党が経験を積む場としても機能しており、ドイツの「成熟した民主主義」を支える重要な要素になっている、と言う。また地域連合としてのEUの前進に伴い、ドイツの連邦制がそのモデルとして注目を集めていることも指摘している。
 大学で環境政策を勉強した当方にとっては、英米流のグローバリゼーションとは一線を画す、政府の規制が利いた、ローカルな要素や自然環境への配慮を重視したドイツの政治・経済は、常に先駆的なものとして映ってきた。今になって当時の盲目的な憧れはさすがに薄れてきたものの、日本にとってドイツは英米よりも精神的・歴史的な風土が近く、経済構造も類似しており、内需縮小下の成長政策や税財政改革、地方分権化などドイツの先例から学ぶことは多い、との思いは以前にも増して強くなってきている。

(2003年、岩波新書

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