Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

三島 憲一 『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』

 ドイツ思想史を専門とする三島氏が、統一ドイツの知的・文化的論争の系譜をたどった新書。

 本書は、ドイツ統一が与えた衝撃と人々の苦悩を紹介するところから始まる:「文化の相違ははっきりしていた。能率と迅速さと正確さを尊び、なによりも論争を好む西側の言語は、ゆっくりと相手の気持ちをおもんばかりながら話し、論争よりも仲間内の気分的一体感や協調を重んじる習慣のついた東側の言葉とはそりが合わなかった・・・改革のために西側から乗り込んだ頭の回転が速く、怪しげな使命感に溢れた官僚たちが、官庁独特の省略語を駆使して動くのを、東の一般の人々は、ただ見ているより仕方なかった。」フランスで職場の同僚に聞いた話だが、統一後20年が経過した今でもこうした「精神的な壁」の問題は続いており、こうした問題に取り組むべく、ある市民団体が旧東・西両方の地域の子供たちを同じクラブに集め音楽や演劇などの活動をさせているが、旧東地域の子供の親が、子供が旧西側の人々の考え方に触れることを恐れて中々子供を活動に参加させたがらない、といった様子が、未だにTVの特集で紹介されているという。
 余談だが、先日ベルリンを訪れた際に、ベルリンの壁の跡地やその周辺の記録館などに立ち寄ってみた。「壁」といっても、実際には幅数百メートルの緩衝地帯と監視塔・サーチライトを有しており、普通の人々が突破するのは殆ど到底不可能だった、と実感した。また戦前の地下鉄網は東西分割によって寸断され、そのトンネルを使って地下から脱出を試みた東側住民もいたとの生々しい記録もあり、敗戦と冷戦によって生活圏を分断された当時のベルリンの人々の困惑ぶりが眼に浮かぶようだった。記録館の展示は「こんな壁で人間の自由を抑え込もうとしたなんて、愚かなことだ」と結んでいたが、それでも分断生活は実際に40年以上も続いたのであり、統一によって考え方や暮らしの劇的な変化を迫られた当時の一人ひとりの当惑の大きさも、また計り知れないものだったろう。

 ドイツ統一は、指導者のイニシアチブもあって当時の大方の知識人の想像を超えたスピードで成され、彼らの間に芽生えた困惑は相当なものであったようである。本書によれば、旧東ドイツの反体制派知識人は、統一が成った後、西側のエリートから手の平を返したように「保育園の保育料を払うという西では当たり前のことにも何かと文句をつけるやっかいな連中」とみなされるようになり、また西側の自由主義社会を批判していた左翼知識人は、保守派から「西側社会の明白な『勝利』を目の当たりにして声が出なくなったのは、どうしたことだろうか?」と揶揄されたという。
 ドイツ統一はまた、過激な民族ナショナリズムや「アウシュヴィッツは存在しなかった」とまで述べる極端な歴史修正主義の登場を招く一因にもなった。これらの議論は全体で見ればあくまで傍流の存在に過ぎなかったが、まさにこうした議論が現実化するのを防ぐために、当時のドイツ政府は、「ドイツのヨーロッパではなく、ヨーロッパのドイツ」を合言葉として、ドイツの大国化を危惧するフランスら近隣国とともに、欧州統合の加速化を図ったとも言える。
 加えて、詳細な背景は不明だが、当代の知識人や学者がナチス体制に加担していたというスキャンダルが、東西統一後に数多く明らかになり、そうした人々は一夜にして名声を失ったという。今でも旧ドイツ軍の死者は、(靖国神社が存在する日本と違って、)公的に追悼することが許されておらず、また戦時中の外国人強制労働者への個人補償が2001年にやっと始まったばかりであることからも分かるように、過去認識と戦争責任の問題は、ドイツにとっても未だ道半ばのようである。

 本書の最終章は、さまざまな哲学的問題について互いに反駁を重ねてきたデリダハーバーマスが、米国のイラク戦争直後、今後のヨーロッパのあり方について、①ポーランドなど「新たなヨーロッパ」と独仏など「古いヨーロッパ」の分裂への危惧、②ヨーロッパとしてのアイデンティティの協調(ナショナリズムを抑えるEU、資本主義の暴走を抑える福祉国家体制、暴力ではなく制度化と対話の積み重ね)、③こうしたアイデンティティの普遍性と世界に拡げる努力の必要性、の3点を共同で表明したエピソードに触れ、ドイツが「コスモポリタン・デモクラシーへの道」に足を踏み出しつつある、と締めくくっている。
 一方で、現在進行形の欧州債務危機http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/35600970.html
)に伴い一部の政治家や研究者がユーロ離脱すら唱え始めている現在のドイツを見ると、三島氏の上記の楽観的な解釈には疑問符が付く、とまで言うのは早計だろうか。二度の大戦を引き起こしたドイツが理性によって自らのナショナリズムを抑えつけ、欧州統合の先陣を切ってきたことは、ドイツとヨーロッパの双方に計り知れない利益をもたらした。もちろん左派の知識人は、この方向性を今後も維持することの妥当性を説き続けるだろうし、当方もこれまでヨーロッパが見せてきた域内対話と制度化への粘り強い努力が結局のところ今回も機能するものと期待してはいるが、現在の欧州が陥っている危機の大きさを見れば、過去60年以上にわたって自制を続けてきたドイツ人の理性もそろそろ限界かもしれない、とすら時々思えてしまう。

(2006年、岩波新書

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