NHK「新シルクロード」プロジェクト 編著 『新・シルクロード 激動の大地をゆく 上』

　ＮＨＫのドキュメンタリーには、「さすが」と思わされる珠玉の作品が幾つもあります。最近では、今年はじめに完結した「沸騰都市」が秀逸。
　今回紹介するのは、2007年に放映された「新シルクロード　激動の大地をゆく」の単行本の上巻。中央アジア、コーカサス、アラビア半島の地域を取材した第一集～第四集分を収録。1600円という廉価ながら、地域の大自然を切り取った美麗な写真や、人々の生活や社会の様子をリアルに伝えるエピソードにあふれています。

１．「新しいシルクロードは、石油の道だ」

　取材班が、石油ブームに沸くアゼルバイジャンの首都・バクーで幾度も聞いた言葉。バクーの石油の歴史は古く、13世紀にはマルコ・ポーロが『東方見聞録』のなかで「バクーには燃える水がある」と書いている。バクーの採掘場で働く労働者は、石油が滴る自らの手を指して言う。
「見てください。美しいとは思いませんか？石油は黒い黄金です。宝です。昔、男たちはレストランに出かけるとき、わざと石油でシャツを汚して、石油労働者であることの誇りを示していたものです。私たち石油労働者の身体を斬って御覧なさい。きっと石油が流れ出てきますよ。」
バクーの石油とパイプラインは、莫大な富をこの都市にもたらしつつある。
　一方、バクーから車で西に5時間。バルダの難民キャンプには、いまだ終戦合意に至っていないナゴルノ・カラバフ紛争の難民が立てたバラック小屋が並ぶ。そこに暮らす壮年の男性・アリさんは言う。「紛争が始まる前、僕にはアルメニア人の友達もいたし、彼らのことを信じていた。でも、今では彼らのことを信じていない。僕たちの大統領が必ず戦争を起こして、ふるさとを取り戻してくれるに違いないと僕は信じている。そのときは僕も戦闘に参加して戦うつもりだ。」彼らの生活と、高層ビルが立ち並ぶバクーとの距離は、あまりに遠い。
　

２．カザフの荒野、強制移住によって作られた町

　カザフスタンのウシュトベ。人口5万の町に、カザフ、ロシア、ウイグル、トルコ、クルド、チェチェン。さまざまな民族が同居している。そして人口の10パーセントは、朝鮮民族。
　スターリンは1930年代から40年代にかけて、ソ連国境周辺の諸民族に強制移住を強いた。移住は、貨車に何ヶ月も詰め込まれるような過酷なものだった。沿海州に住んでいた朝鮮民族も、ウシュトベをはじめとするさまざまな地域に移り住んだ。当時を知る老人は語る。
「私の一族は朝鮮半島を襲った飢餓から逃れるため、沿海州に移り住みました。19世紀の中ごろのことです。・・・それは突然のことでした。ソ連の役人に三日以内に荷物をまとめ、駅に行けといわれたのです。戦争になったら日本の味方をする危険があるからという理由でした。20万人が沿海州を追われました。・・・ウシュトベに着いても、家もないし食事もありませんでした。ただ、あの丘の麓に行けと命じられただけです。それはただの丘で、周りには丈の長い草がぼうぼうと茂っていました。」
　取材班は、彼らが背負ってきた歴史の重みに言葉を失う。老人たちは最後に、「私たちの祖国はここ、カザフスタンです。」と言い切った。

３．民族紛争とバザール、そしてシルクロード

　ソ連崩壊と前後して、各地で民族紛争の炎が吹き上がった。
　ウズベキスタンとの国境に接するキルギスの辺境・オシュ地域。ソ連政府は、地政学的な理由から、ウズベク人が多く住んでいる同地域をキルギス共和国に組み入れていた。ソ連崩壊後、ウズベク人の民族意識が高まり、同じオシュに住むキルギス人との対立につながっていく。暴行、略奪、殺人、強姦。１週間にわたった紛争は、600人もの死者・行方不明者を出した。最後はソ連の治安部隊によって鎮圧されたが、事件の記憶は深い傷跡をオシュの両民族に残した。
　取材班は、この紛争の記憶について、オシュの人々の口を開かせることは、ついにできなかった。
　しかし現在、オシュのバザールでは、ウズベク人・キルギス人を含めさまざまな民族がともに働く姿を見ることができる。「少しでも豊かな暮らしを手に入れたい」という願望は民族共通。民族和解の鍵は、バザールでの協働のなかに、眠っているのかもしれない。
　「人とモノが越境して動いていくことで、さまざまな人々が交じり合い、さまざまな文化が交じり合い、異なるものが溶け合ってひとつの混濁した世界を作っていくという、シルクロード的世界のひとつの可能性がここにはあります」、と取材班は締めくくる。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（ＮＨＫ出版、2007年発行）