Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

桃井 和馬 『観光コースでないアフリカ大陸西海岸』

 フォトジャーナリストの桃井氏によるアフリカ西海岸10カ国のルポルタージュ。会社の同僚に借りっぱなしにしてあったものを読了。
 タイトルを見てあまり期待しないで読み始めたものの(すみません)、アフリカ各国の社会経済、人々の暮らしがさまざまな側面からコンパクトにまとめられていて、いろいろな発見があり、興味深く読めました。
 

1.チュニジア人にとってのアルジェリア

 西海岸10カ国の取材はチュニジアから。女性のスカーフや男性のひげ、白いアラブ服はほとんど目にしない。桃井氏はその理由を街で出会った老人のセリフを通じて読み解く。
 「私たちはこの国をアルジェリアのようにしたくない」
 宗主国フランスと歩調を合わせたアルジェリア政府は、1991年民主的な選挙で勝利したイスラム原理主義政党に対し、軍部の力を背景に徹底的な弾圧を行った。以降、原理主義者も暴力的な手段で応酬、1999年までに国内で10万人が両者合わせて約10万人が殺害されたとされている。
 「ローマ時代から大国に翻弄され続け、国家がつぶされた過去を持つチュニジア人にとって、アルジェリアの情勢は、過去の苦難の歴史を思い出させた。・・・どんなことがあってもヨーロッパは刺激したくない。それがチュニジア人の身体奥深くに刻まれた記憶だった」
 ちなみにチュニジア人男性にとって人生に大切なものは「アッラーと家族とサッカーチーム」の3つであるらしい。



 ポルトガルによる植民地支配と奴隷貿易ソ連寄りのダ・コスタ大統領による厳しい一党支配が長く続いたサントメ・プリンシペでは、外国人ジャーナリストに対して人々がなかなか心を開いてくれない。写真も一切お断り。そこで一計を案ずる桃井氏。
 サントメ・プリンシペは、1997年に大陸中国との国交断絶、台湾との国交樹立を果たした。実はアフリカ大陸において、台湾の存在感は大きい。台湾の外貨準備高は2002年時点で世界4位。外交面での協力と引き換えに、アフリカ各国に資金援助を行っている。サントメ・プリンシペでも、港湾・道路・消防車などさまざまなインフラが台湾によって提供されている。
 桃井氏は一転、「台湾人」として人々に取材を試みる。人々の反応は打って変わって友好的なものになる。桃井氏は心の中で台湾の人々に謝りながらも、現地の人々の悲しい歴史を世界に伝えるべく、シャッターを切り続けた。


3.内戦終結直後のシエラレオネ

 桃井氏は、紛争終結直後、2001年のシエラレオネを訪れている。
 「第三者が介入する場合、最良のチャンスは、何といっても紛争が起こる前でしょう。・・・・紛争を解決できるもうひとつのチャンスはいつか?それは残念ながら、紛争当事者たちや彼らの社会が、完全に疲弊しきった時なのです」とピースウィンズ・ジャパンの大西氏。
 シエラレオネは後者。1991年から続いた内戦は、2000年の国連介入によって一気に和平合意を迎えた。反政府ゲリラによる「手足切り」、マリファナの蔓延、血塗られたダイヤモンド。10年間の内戦を通じてシエラレオネの人々がこうむったダメージはあまりにも大きいが、現在、復興への希望は着実にひろがっている。


 桃井氏はアフリカに根付いている豊饒な精神世界、「フォース」の存在を信じているといいます。
「ネガティブなイメージを一枚剥ぐ。すると、そこに広がっているのは、表層の何倍もの規模で存在する豊饒な目に見えない世界である。・・・夜の闇が圧倒的な迫力で迫ってくる世界。闇の中で妖怪や霊魂が戯れる世界。生きている人間と妖怪が対等に話し合い、時には戯れ、時には対峙する世界。闇夜の世界と、明るい昼間の理性的な世界がお互いにお互いを必要としている感覚・・・。」

 熱いハートと冷静な眼。同氏のルポルタージュ、他のものもめくってみたくなりました。

                                (高文研、2004年発行)


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