Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ミルトン・フリードマン 『資本主義と自由』

 
 経済自由主義の泰斗、ノーベル賞受賞の経済学者ミルトン・フリードマンの著書。資本主義と自由(政
治的自由と経済的自由)の関係について、自由主義の立場から経済における政府の役割がいかにあるべき
か、学術書ではなく、一般市民向けに分かりやすい言葉で書いた本。
 この本が出たのは驚くべきことに1962年、いまから44年も前のこと。古典と呼ぶには少々新しいかも知れませんが、現代の先進国の経済政策が振り子のようにケインズフリードマンの間を行き来するなか、その思想の原著に触れるのは意味あることだと思い、日経BP社からちょうど新訳が出たので、つい買ってしまいました。

 著者によれば、当時は米国内でもさほど話題に取り上げられなかったらしいのですが、ご存知のようにフリードマンの思想を理論的なよりどころとして、80年代以降、サッチャーのイギリス、レーガンアメリカ、小泉の日本、と次々に各国が「小さな政府」志向に突き進んだことは周知の事実。第2章の末に挙げられている「政府がやる必要がない公共サービス」リストのなかには、昨今の日本を揺るがした郵政事業や国営有料道路の運営も含まれています。
 
 原著を読んで新しく気付いた発見は、フリードマン自由主義が、えてして誤解されやすいや拝金主義、競争原理主義とは一線を画したものであること。独占や外部効果、情報の非対称性といった市場の欠点にはもちろん言及がなされています。彼が見据えていたのは、19世紀にアメリカやイギリスで主張された為政者や政府への権力集中を恐れ個人の権利確立を目指す、より深い意味での自由主義。そこでは、個人にとって政府はあくまでサービスを享受する手段に過ぎません。

 解説の高橋洋一さんも書いていますが、まさに古びない命題を取り上げた本。欧米や日本の「小さな政
府」改革がいったいなんだったのか、疑問やもやもやが晴れない人にはぜひおすすめ。

 ただし、44年前のフリードマンのこの思想を現代日本に全て適用することについては、もちろん但し
書きがつくはずでしょう。フリードマンがリストで挙げた「政府が実施する必要のない公共サービス」の
各論については、人類史上ようやく現在各国で実証がなされつつあるところであり、またフリードマン
暮らしたアメリカと日本で社会文化の前提が違う、ということもあります。
 ただし、肥大しすぎた中央政府道路特定財源財政投融資郵便貯金、不要な公共事業、官組織の人員そのもの-を無理やりにでも減らす作業は、政権にかかわらずいずれ誰かが手をつけなければならないことに変わりはありません。

 (原著: 1962年発行、 日本語訳: 村井章子、2008年4月、日経BPクラッシックス)



【補論:個人は政府をコントロールできているか】

 長くなってしまうので、以下のように簡単にまとめてしまいました。フリードマンの『資本市場と自由』は、現代の日本人にとっても、個人と政府の関係について興味深い問題提起をしてくれます。

 1つは、個人の「自由人」たるべき姿を思い出させてくれること。人類がめざし、勝ち得てきた米国
憲法や世界人権宣言、日本国憲法において明記されているさまざまな権利。それらは、政府や一握りの人間に権力が集中しすぎることに対する、個人の自由と尊厳を求める叫びだったはず。私達はひとりの人間として生きる限り、決して政府のいいなりの人形ではなく、個人にとって政府はサービス享受のうえでのただの「ツール」に過ぎない。フリードマンが経済自由主義の議論の前提としたのは、このような個人の姿。現代の日本人は、政府の主張を疑ってかかる、政府発表を垂れ流すだけのマスメディアを疑ってかかる、といったことをもっとオープンなレベルで行って良いのでは。

 もう1つは、政府の役割と政府の公共サービスの必要性について、根本から考え直す機会を与えてくれ
ること。今の日本においては、政府の各種公共サービスは当たり前のこと過ぎて、私達はその本質が難なのか、自分たちの生活にとって本当に必要なものなのか、そのサービスについて他の選択肢がないのか、そういったことを考えることをやめてしまっている。
 年金制度がもっともな顕著な例で、「政府万能」の思い込みのもと、年金の管理・運用をすべて政府に委ね、社会保険庁という非効率な組織を生み出し信用しきった結果、制度破綻を招いた。今の状況では、若年層にとっては、信用できない年金制度に社会保険料を毎月納付しなければならないことこそ、非合理的な行動に他ならない。所得再分配が目的であれば、税で行えば良い話。
 政府のサービスは決して「あって当然」のものではなく、「なぜ存在するのか」普段から考えることが、(自分にとっても)重要なことである。