Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

アラン・グリーンスパン 『波乱の時代』

 1987年から2006年まで史上最多の5期に渡ってFRB議長を努めたグリーンスパン氏の回顧録。上巻は、グリーンスパン氏の生い立ちからFRB議長を5期務めるまでの文字通りの回顧録であり、下巻は、こうした経験をもとに国際経済上や主要課題や今後の見通しに対する自身の考えを述べる、という構成になっている。2007年の発売当初に原著を買って読んだが、当時は歴史や経済に関する知識も少なかったため、内容を大して理解できていなかったように思う。その後リーマン・ショックをきっかけとして同氏の評価が急直下するのを見て、世間のあまりの評価の急変ぶりに驚いたのを覚えている。今年に入って邦訳版を入手する機会があったので、改めてさらさらと読み返してみた。
 
 上巻は、要職を歴任したグリーンスパン氏ならではの稀有なエピソードに満ちており、純粋に読み物として楽しめる。例えば、政治的抵抗の強い改革を前進させるための方策として、同氏がレーガン政権時代に超党派社会保障年金改革委員会で委員長を務めた際の、①問題を限定する、②問題の規模を示す数値について委員全員の合意を得る(事実に基づかない扇動を封じる)、③大統領以下主要な関係者全てを巻き込む、③妥協成立後の党からの修正案に対しては、委員全員で反対することに合意する、の4点を踏まえた上で、利害関係者全員に負担が分散するよう留意した、という経験は参考になる。また旧ソ連の経済に関して、崩壊前の旧ソ連を訪れた際に、国家計画委員会(ゴスプラン)が作成した「完璧な」投入産出表が、静的状態であればともかく動的状態に同対応しているのか、「資本主義の市場は価格の変化を直接のシグナルとして機能しているのだが、各商品をどれだけ生産するべきかを、このシグナルがない状態でどうやって判断するのか」と疑問視。また「ソ連の管理者は上から下まで、向上の生産量と人員を水増しして報告する動機を十分にもっている。それ以上に問題なのは、データに矛盾があって、矛盾を解決するのが不可能」として、自らはもとよりソ連当局にも各種経済データが分析不可能であると結論付け、「FRBの仕事はむずかしい。だが、ゴスプランの仕事は現実離れしている」と回顧する。また「1997年までに年1300億ドル以上」というグリーンスパン氏が示した財政赤字削減上の目標値に基づき、議会との壮絶な闘いの末、驚くべきスピードで財政赤字削減と長期的な経済成長を実現したクリントン政権についての記述からは、まさに現在の主要各国の首脳が持つべき心構えと、取るべき方策の一端が見え隠れする。

 解説の山岡氏も言っているが、グリーンスパン氏は幸せな時代にFRB議長を務めたのだな、とつくづく思う。レーガン政権移行の規制改革・自由主義路線、冷戦崩壊による唯一の超大国化、旧東側諸国の自由市場化による世界経済の上昇基調、クリントン政権の堅実な財政運営。ブラックマンデーや9・11など個別の局面で困難はあったが、全体的に見て、経済の舵取り役としてはプラスの所与条件に多く恵まれた。また、企業コンサルタントとして経歴を重ねる中で身に着けた、理論と実践に裏打ちされた経済知識、個別業界に関する知識・人脈、卓越したコミュニケーション能力。現実の経済をいかに広く、かつ「深く」知っているか、という点にかけては当代随一であったことも、見逃してはならない。本書でも、下巻で、経済成長の根幹としての財産権の重要性、中南米を例に取ったポピュリズムの危険性、経済合理性よりも「対面」を優先した日本のバブルの経験に見る資本主義の「多様性」など、世界と歴史を縦横に巡りながら広範な経済上の問題に対して自身の見解を披露しており、多くの示唆を提供している。

 但し、彼は生粋の自由主義者(Liberitarian)である。例えば最終章で「今日の世界で、政府の規制を増やすことがプラスになると考える理由が、わたしにはよく分からない。たとえば、ヘッジ・ファンドの財務諸表データを集めても無駄である。インクが乾くころには、データが古くなっているのだから」と述べる箇所が、彼の哲学を端的に表している。同氏は、詐欺など経済犯罪の取り締まり強化や、市場インフラ整備など業務リスクを削減するための試みについては、その必要性を認めている。しかし、「いつの日か投資家は、市場が合理的から非合理的に変わるときが分かるようになるのかもしれない。だが、私は疑問に思う。熱狂と不安の間で振り子のように揺れる性向は、人間が生まれながらにもっているものであり、永遠に変わらないように思えるのだ」と、健全な経済拡大との峻別が難しい「バブル」の予防ではなく、破裂後の迅速な回復を可能とするための経済の力と柔軟性の確保、すなわち「財とサービスの物価を安定させるという中心的な目標の追求に徹する」方針を採用する。「現代の民主主義社会で、実現しない可能性もある将来の問題に対応して、そのような(陶酔感の芽を摘み取るような)厳しいマクロ経済政策をとろうとするとき、有権者が許容することを示す事実は見当たらない」、とも述べている。

 2001年以降、住宅バブルの芽が生まれつつあった時期における一連の緩和政策については、ITバブル後のデフレ懸念への対処と共に、「謎(Conundrum)」として、東西冷戦構造崩壊後に世界経済にビルトインされた新興国の低賃金と高い貯蓄性向によって当時は高金利政策がそもそも効かなかった(FF金利誘導目標を引き上げても国債利回りが上昇しなかった)ことを挙げ、一定の妥当性を示そうと試みている。一方、「サブプライムの借り手向けの貸出基準が緩められたとき、金融リスクが高まることに気づいていたし、政府の補助によって住宅所有を促す政策で市場が歪むことにも気づいていた。しかし住宅所有者層の拡大による利益は大きいので、このリスクを取る価値はあると考えていたし、いまも考えている」と、むしろ確信犯的に住宅市場の熱狂を放置したことが伺える箇所もある。市場の投機マインドのコントロール、グローバルなディスインフレ圧力、引き締め政策に対する政治的な支持の確保。このいずれに対しても、グリーンスパン氏は、FRBの影響力の限界を感じていたようである。しかし自身が後に「100年に1度の危機」と称したように、同氏は、当時の米住宅市場が抱えていた(自身が放置した)歪みの大きさと、危機が世界に伝播する潜在的なリスクについて、目測を誤った。各国当局の迅速な措置によって大恐慌の再来は免れたが、それでも世界規模の不況と、当時の財政出動を引き金としたいくつかの国における深刻な債務危機が、現在に至っても尾を引いている。2011年の現在となっては、盲目的に同氏の自由主義的な主張を信じる向きはさすがにおられないと思うが、それでも後世の歴史が過去の世界経済におけるバブルの教訓を読み取る上で、本書は重要な材料を提供している。

(邦訳:山岡 洋一・高遠 裕子 訳、日本経済新聞出版社、2007年(上・下)、2008年(特別版(原著ペーパーバック版のエピローグ)
 原著:Alan Greenspan 'The Age of Turbulence: Adventures in a New World' 2007, 2008)

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