Foomin Paradise (読書ブログ)

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網野 善彦 『「日本」とは何か』

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 歴史学者の網野氏が、講談社「日本の歴史」シリーズの第一弾として、これまでの学術的成果をもとに、日本という国のルーツを論じた本。

 網野氏は本書を通じて、いわゆる進歩史観的な従来の日本の捉え方に絶えず疑問を投げかける。第二章では、日本列島がいわゆる「孤立した島国」だったという通念に対し、朝鮮半島や大陸北西部(アイヌ民族)、南西諸島や東南アジア、そして時には太平洋を越えて広い通商・交流があったことを明らかにする。第三章では、天皇号と日本国号が中世当時の王権によって人為的に生み出されたものであること、そしてその後も列島の東西で異なる権力と社会が興隆したことを論じ、明治時代に流布された「統一的な日本民族」という認識が虚像に過ぎないことを示す。第四章では、中世・近世を通じて人々が多種多様な産業に従事していたことを示し、農業、とくに稲作が日本の象徴しているとするいわゆる「瑞穂の国・日本」のイメージに疑問を投げかける。

 解説の大津氏は、これらの議論を「近年よく耳にする『学際的研究』の最もすぐれた成果」と評価しつつも、上記のような画一的・均質的な日本社会のイメージの破壊には成功したが、日本がその本来の多様性にもかかわらずなぜ「日本」としてまとまりえたのかという疑問には答え切れていないとしている。たしかにこの点について網野氏は本論では詳しく触れず、最終章で今後の議論の展開に期待を述べているのみである。大津氏はこの点について「王権あるいは天皇制の議論が必要なのだろう」「天皇の伝統的権威とか宗教的役割、さらに『日本意識』ということでは、宮廷の文化とか学問、たとえば中世の和歌の役割などを考察する必要がある」と今後の手がかりを与えている。

 偏狭な日本論が跋扈している今、こうした日本史の研究成果を踏まえて日本のアイデンティティを改めて問い直していくことも必要だと思われる。瀬川氏の『アイヌの歴史』を読んだときも感じたが、日本という国は必ずしも一様のルーツを持たず、むしろ多様で雑多な背景の集団が集まって成り立った国家である。それが、とくに明治維新以降、国力増強の必要に迫られて、半ば人為的に、統一的な国というイメージが成り立つに至った。これをどう解釈するかは人それぞれだが、こうした歴史観も存在することを知っておくのは、決して無益ではないと思う。

(2008年、講談社学術文庫「日本の歴史」シリーズ00)

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