Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

共同通信社社会部編 『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』

 山崎豊子『不毛地帯』のモデルとも言われる元大本営作戦参謀・瀬島龍三氏の半生を切り口として、太平洋戦争、シベリア抑留、戦後賠償など戦後日本史の暗部を抉った共同通信社社会部のチームによるルポルタージュ
 
 戦中の大本営陸軍部作戦部作戦課は、同情報部に在籍した堀元参謀が「奥の院」「独立王国」と呼んだ、陸軍の全ての軍事作戦の立案と指導を担った、超エリートの官僚集団である。その作戦課にあって、1942年11月から1944年8月までの約2年にわたり、対米作戦主任として太平洋戦線の作戦を担った人物が瀬島氏である。上記の堀氏の本の中には、瀬島氏が大本営で起案したレイテ決戦が、台湾沖航空戦の誤った戦果報告に基づいており、40キロ以上に及ぶ米軍の上陸可能正面を一個師団のみで迎え撃つという無茶な作戦であったことを指摘、「瀬島龍三参謀が、(1944年)8月13日にレイテを視察しているが、本当にこれで大丈夫と思ったのだろうか」と述懐する箇所がある。本書では、作戦起案にあたっての心構えについて、瀬島氏が当時の後輩に対し「(まず第一項で敵情を説明し第二項で作戦を指示する現場の司令官命令とは違って、)大本営命令は第一項に敵情を書かず、ずばり天皇の決心を書く。天皇は敵情などで決心を左右されないからだ」と述べたエピソードが紹介されており、彼を含む作戦課の参謀が、まさに天皇の名を借りて戦争を主導したことが如実に読み取れる。
 瀬島氏は、著者の取材に応じて、強硬論で課内のムードを染めた当時の服部作戦課長と補佐役の辻作戦班長について、「大きな犠牲を払ったノモンハン事件の責任者二人が重要時局に作戦課にいたことには問題があったと言わざるを得ない」と回顧している。開戦を主導した当時の田中作戦部長や服部作戦課長をはじめ、大本営で作戦立案を担った幹部らは何故か戦後の連合国による訴追を免れているが、実質的・道義的な意味での戦争責任が彼らにも存在することは明らかである。絶対の官僚組織である旧陸軍において、上司である作戦部長や作戦課長の意向を覆すのが困難であったことは想像に難くない。しかしそれでもなお、国内だけで数百万に及ぶ人命を屠った無謀な戦争指導の一端を担った者としての自らの戦争責任について晩年まで一切口を閉ざしたまま、大企業幹部として戦後日本の表舞台で活躍した瀬島氏の姿は不気味としか言いようがなく、歴史認識と戦争責任を曖昧にしたまま経済成長に感けてきた戦後日本の国家像とそのまま重なるようですらある。
 瀬島氏は、シベリアから帰国後伊藤忠商事に入社、当時の朴・韓国大統領と日本陸軍士官学校の先輩後輩の仲であるなどの「大本営人脈」によって、着々と賠償ビジネスの地歩を固めてゆく。韓国に限らずアジアに対する日本の賠償は、その文言とは裏腹に、どす黒い欺瞞に満ちている。賠償の大部は、日本企業によるインフラ建設、船舶や自動車、機械製品の輸出代金に充てられた。日本企業はビジネスを勝ち取る代わりに、発注者である当該国の政治中枢に対し多額のリベートを支払い、これが当該国の政治家の政治資金や私財購入に充てられた。もちろんインフラや産業発展のかたちで当該国の国民も間接的に利益を受けるが、以前の当方が全く勘違いしていたように、それは決してアジア諸国の人々に対する直接の金銭支払いなどでは全くなかった。日本による賠償は現物と規定したのは1945年のポツダム宣言であり、これは巨額現金賠償が経済崩壊とナチス台頭をもたらしたドイツの例を教訓としたことに拠るものだが、これによってアジア諸国において数々の汚職や政争、ときには当該国国民からの反発を招いたことも、日本人として忘れてはならない事実のひとつである。本書の巻末では、「結局この人は戦前は国家、戦後は一転伊藤忠に忠誠を誓い、戦後の賠償を商売の機会にした。なぜああ堂々としていられるのか」との加藤明治大学院大学教授の言が紹介されているが、これはそのまま、本書に相対した読者の率直な感想でもある。
 瀬島氏は相談役として伊藤忠商事の会長職を退いた後、当時の中曽根首相をはじめ政界のブレーンとしても活躍した。本書では、「僕は中曽根ごとき者のブレーンではない。中曽根のためではなく、国家百年のためにやっている」という瀬島氏の言が、元外相秘書官の証言によって紹介されている。超エリート参謀であった瀬島氏は、目前の課題を論理立てて処理する能力は当代随一であったに違いない。しかし自らの責任には鈍感で、大所高所からの主体的な価値判断を避け、あくまで自身の信ずる国益にのみ忠誠を誓うという、言うならば骨の髄まで「官僚」であったのだろう、と本書を読み終えて総括した。しかし、戦争指導の中枢にいた「官僚」が、シベリア抑留を経て、不死鳥のように国家の表舞台で活躍したという事実は、自称無謬の官僚組織が国事を主導し国民もそれを良しとする、戦前から変わらぬ日本社会の体質をそのまま表しているようで、それはそれで暗澹たる気持ちにさせられた。

 

(1999年、新潮文庫