Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

戸部 良一 ほか 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』

 戸部防衛大学校教授ら戦史・組織論の研究者グループによる、先の大戦で示された日本軍の組織特性についての共同研究。タイトルが示すとおり、戦史上の失敗から、現代日本の組織一般にも通じる教訓を導き出す内容。
 
 本書で取り上げられているのは、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ開戦、沖縄戦の6つ。いずれも、曖昧な戦略目的、客観性・合理性を欠いた戦術、火力・兵站の軽視、学習サイクルを欠く組織文化など、当時にあっては致命的な旧陸海軍の戦略・組織上の欠陥が如実に現れた作戦である。
 とりわけ「しなくても良かった作戦」と著者が断じたインパール作戦の項は、牟田口第15軍司令官の個人的執着が方面軍全体を振り回し、「たっての希望であるならば南方軍の出来る範囲で作戦を決行させても良いではないか」と大本営が情に流されて無謀な作戦を承認した経緯を紹介しており、結果として同作戦が数万の将兵の命を奪いビルマ防衛を破綻させたことを考えれば、当時の旧陸軍の意思決定は全く狂気の沙汰としか思えない。作戦を主導した牟田口司令官は作戦失敗後もその責を追求されることなく、戦後は自己弁護を繰り返したとされるが、「白骨街道」と称された退却路を下った当時の兵士の記録があるが(http://www.bea.hi-ho.ne.jp/odak/Chapter7.htm
)、同司令官はこうした兵士達の命の重さをどのように考えていたのだろうか。

 筆者グループは巻末で、「日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することが出来なかったということにほかならない」と述べる。変わり行く環境に適応するためには組織としての学習が必須だが、「組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。その場合の基本は、組織としての既存の知識を捨てる学習棄却(アンラーニング)、つまり自己否定的学習ができるかどうかということなのである。そういう点では、帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう」と本書は指摘している。陸軍に比べて合理的思考を重視したとされる海軍ですらも、「(日露戦争以後の海軍における)硬直的な戦略発想は、秋山真之日本海海戦を立案した参謀)をして、『(日本海海戦の戦果をもとに短期決戦、奇襲の思想、艦隊決戦主義の思想をまとめた)海戦要務令が虎の巻として扱われている』と嘆かわせたほどであるが、昭和9年の改定以後結局一度も改定されず、航空主兵の思想が海軍内部で正式に取り上げられるチャンスを逸してしまっ」ており、明確な戦略概念に欠け外部の構造的変化に対応しきれない日本型組織の特質は、何も今に始まったことではないことをまざまざと教えてくれる。

 また本書を読んで改めて認識したのは、インパール作戦を主導した牟田口第15軍司令官や大本営の参謀が戦後も生き延びてのうのうと自己弁護を図っていたことからも分かるように、戦後日本は、アジアに対する戦争責任のみならず、戦争指導者の自国民に対する戦争責任についても裁くことをしてこなかったという事実である。当方は本ブログで以前、ポル・ポト政権幹部を裁くカンボジア特別法廷について、「特別法廷をただの政治ショーや不満の捌け口にするだけでなく、何故あのような人類史上まれに見る失政が自国で行われたのか、冷静に分析し未来に活かすことは、誰よりもカンボジア人自身にとって必要な作業であると信じる」(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/33007577.html
)などと偉そうに語ったが、何のことはない、日本人も数百万の人名を奪った先の大戦の戦争指導者の責任を自らの手で裁いたことなどないのである。
 今の日本で、今更そんなことをやろうとする政治家はいないし、外圧もないし、また戦争指導の当事者たちも殆どがこの世を去っている。しかし、中学校や高校の教科書を使うなりして、せめて若い世代にあまねく議論の材料を提供すべきではないか。そのような下地がないから、靖国神社参拝など現代でも時折生じる過去認識に関する問題について、本当の意味での議論が尽くされることがないのだと思う。成人してから本や資料を読んで色々考える当方のような暇人もいるが、それではあまりに非効率に過ぎる気がする。

(中公文庫、1991年)


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