Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

カトゥリ・メリカリオ 『平和構築の仕事 アハティサーリとアチェ和平交渉』

 フィンランド人ジャーナリストのメリカリオ氏が、2005年合意に至るまでのアチェ和平交渉と、その中で仲介役のアハティサーリ・前フィンランド大統領が果たした役割を描いたノンフィクション。

 1976年の創設以来、自由アチェ運動(GAM)は30年近くに渡って独立闘争を繰り広げてきた。和平の試みは幾度となく頓挫したが、ひとつの転機となったのが2004年の大津波による甚大な被害。アハティサーリ氏と彼が率いる非営利組織「Crisis Management Initiative (CMI)」による和平交渉でも、当初GAMは独立の意思を隠さなかった。しかし多民族を束ねることで国家を成り立たせているインドネシア政府にとってアチェ独立の容認は政治的に不可能であり、また津波で打ち拉がれるアチェ住民も平和を望む声が多数派だった。アハティサーリ氏はまず「アチェの独立についての討議はしない」と交渉の枠組みを明確にした上で、「独立を放棄するかどうかはアチェ人が決めるべき」と主張するGAMに対し「アチェ人の総意を代表する決断を下す勇気が君たちにないのなら、我々は単に時間に浪費するだけではないのかね」「自治以外に別の選択肢が交渉のテーブルにあったとの印象をアチェの住民に抱かせれば、住民にひどい仕打ちをすることになる」と強い姿勢で迫った。交渉は難航したが、ヘルシンキ郊外のケーニクステット邸、一つ屋根の下で当事者が直接顔を突き合わせて交流を深め、そしてアハティサーリの率直で飾らない姿勢が両者の信頼を得ていくのと歩調を合わせ、GAM武装解除や国軍の撤退、そしてアチェの「特別統治」権を含む、包括的な合意パッケージが出来上がって行く。

 和平交渉では、個人の意思で紛争当事者の対話の糸口を探り出したフィンランド人のインドネシア専門家であるユハ・クリステンセンと、彼の依頼によって公式仲介者の役割を担うことになったアハティサーリという、当事者の双方から信頼を勝ち得た「個人」の力が、大きな役割を果たした。中でも本書の主役となったアハティサーリ氏は、メリカリオ氏の取材に応え、示唆に富む言葉を多く残している。「(インドネシア政府とGAMの間の)バランスなどまったく取らなかったね。やろうとしたのは、両方の当事者が共存できる解決策を探すことだった」「私は、これは君たちが手にした合意だといつも当事者を讃えるのだ。自分たちの問題を解決するために部外者が必要だったと、誰も後で言われたくないだろう」

 「訳者解説」で脇阪氏は、この地域に深く関与し続けてきた日本がなぜ今回の紛争解決プロセスに直接貢献できなかったかを分析、外交上の教訓として提言している。その主なものは「仲介外交のための日本の国内態勢を再構築する」ことであり、そのためには官のみならず政治家や学界、NGOなど「仲介外交の担い手のすそ野を広げる」こと。とはいえ個人的には、この「仲介」に日本政府ないし民間組織がどこまで手を広げる必要があるか、一抹の疑問を感じないでもない。たしかに日本が長年深い関係をもつインドネシアの重要な政治交渉に関与できなかったのは残念ではあるが、本書でも描かれるように、紛争仲介業には、仲介者となる個人、そしてそれを支える事務方の双方に、開発とも復興とも異なる類の特殊な能力と経験を求めるものだ。英エコノミスト誌は2011年「紛争仲介の民営化」として、政府間の公式チャネルを補完しうる、より自由かつ柔軟に立ち回れる上述のCMIのような非営利組織とそのネットワークが果たす役割に注目しているが、そうした知見は、フィンランドノルウェーといった北欧諸国やスイスといった小国ですでに蓄積されつつある。そもそも仲介という仕事の性格上、世界の各地域に政治的利害を有する日本のような大国よりも、こうした小国にこそ紛争当事者としての中立性が認められやすそうだし、またそもそも欧州のような「率直に意見をぶつけ合いながら合意に至る」社会的な土壌は、日本のそれよりもよほど交渉や仲裁といった仕事に向いていそうである。資金的体力で勝る日本としては、むしろこうしたピンポイントの紛争仲介は一日の長があるこうした小国に任せ、その後の莫大な資金を要する復興や開発のプロセスを担うほうが世界的に見れば役割分担として効率的、という議論もありえるだろうと思う。

(邦訳:脇阪 紀行 訳、2007年、明石書店
 原著:Katri Merikallio "Making Peace: Ahtisaari and Aceh" 2006, Helsinki
 最初フィンランド語で発行されたが、邦訳は英語版を底本として訳出されている)

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