Foomin Paradise (読書ブログ)

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伊勢崎 賢治 『国際貢献のウソ』

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 東京外国語大教授の伊勢崎氏が、自身の経験をもとに、国連や国際協力ボランティアといった日本人に馴染みの深い国際貢献のあり方を問い直す本。

 著者の伊勢崎氏は、インド留学中にスラム住民組織を立ち上げて当局と闘い、その後も大手の国際NGOや国連で紛争直後の国々での人道支援武装解除に携わったという稀有なキャリアの持ち主。アフガンでの武装解除を指揮した経緯については、前回の投稿でも詳述した。多くの立場で国際貢献に携わったリアリスティックな視点から、国際NGOや国際協力ボランティア、国連、ODA、そして自衛隊の実状を紹介し、普通の日本人がこれらの国際貢献に対して抱いているナイーブなイメージを少しずつ引きはがして行く。

 同氏によれば、日本の国際協力NGOはとかく日本人を現地に置きたがる傾向があるが、実際のところ現地に人材はたくさんおり、また当事者と外国人の垣根はどうしても超えられるない部分がある。プロジェクト費用を抑える観点からも、現地のプロジェクト実施は現地スタッフに任せ、外国人は他国のドナーとの橋渡しに徹するべきとする。また自分たちの組織じたいが持続性の問題を抱えている中で支援などできるはずがなく、短期間の資金しかないのであれば「魚を与えるのではなく魚の取り方を教える」のではなくときに魚じたいをあげるアプローチの方が良いかもしれないと論じる。

 日本の青年海外協力隊制度についても容赦ない。これは同氏のいう「日本人を現地に置きたがる傾向」の最たるもので、採算性を度外視、実際には手当も支給されているが「ボランティア」の名称が突いていることで実質的な聖域になってしまっているという。ただし業界の人材供給源になっていることは間違いなく、まずは「国内協力隊」としてみっちり国内研修を積んだ後に、「ボランティア」ではなく「ヤング開発エキスパート」として派遣するのが望ましいとする。また国連ボランティア(UNV)も、優秀な人材が多く派遣されながら、限られた予算内で事業を行う国連システムのなかで割の合わない境遇に甘んじているという、国連システムが抱える組織的な矛盾についても明らかにする。

 国連や日本のODAに対しても一貫して厳しい視線を投げかける。国連の官僚主義や硬直性について触れたうえで(ルワンダのジェノサイドを止められなかった例など)、二国間ODAや地域的機関の援助のほうがその条件付けを通じて紛争の予防や解決により大きな役割を果たせるという。他にも、日本のODAを一律半額にして援助効率を高める、融資基準の見えない有償援助(アフガンは無償だがイラクは有償)は凍結する、肥大化・重複のはげしい国連機関への任意拠出金も凍結し見直すことを提言する。

 同氏の視点に一貫しているのは、貧困や紛争に苦しむ国の人々にとって何が効果的・効率的か、という視点。国連や日本政府、一部の国際NGOなどの現行制度に対しては容赦ない批判が展開されており、自分もその業界で働く一員ではあるが、同氏の主張にうなずける部分は多い。わざわざ日本から連れてこなくても、現地にすぐれた専門家人材がいるというのもそのとおり。また肥大化・重複の激しい国際機関の体制を見直し、場合によっては拠出金を取りやめるというのは近年の欧米諸国では半ばトレンドだが、現在のところ日本が追従する目立った動きはない。日本の政治家やメディアは、国内の政府機関やNGOだけではなく、こうした国際機関の活動についてももっと批判的に焦点をあてて行くべきだと思うが、どうだろうか。


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