Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

角幡 唯介 『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』

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 探検家の角幡氏が、二度に渡ってツアンポー峡谷に挑んだ記録を描いたノンフィクション。
 
 ツアンポー峡谷は、ツアンポー川チベット高原を東に流れ、ヒマラヤ山脈の東端で南に旋回する場所に位置する、最大深度6000メートル以上、世界でもっとも険しいといわれる峡谷。この峡谷部は長い間謎のままだったが、19世紀に英植民地政府の命を受けた探検家がこの峡谷にある大瀑布の存在を仄めかしたことで世界の注目を集め、1924年キングドン=ウォードの探検をもって残された未踏区域は5マイルのみとなった(「空白の五マイル」)。1998年米国人のイアン・ベイカーのグループが、この幻の滝を見つけた。このとき角幡氏は早稲田大学探検部に在籍しており、以前から下調べをすすめていた同峡谷の探検に「意義をみいだせなくなってしまった」が、その後も同峡谷に対する思いはくすぶり続け、2002年から2003年にかけ、地元の協力者の助けを得てついにこの「空白の五マイル」を探検する。

 そして2009年、今度はこの5マイルを含む峡谷の再深部を西から東に踏破したいという思いにかられ、5年におよんだサラリーマン生活を捨て再びこの地に戻ってくる。このときの探検はかなり悲惨なもので、当時の角幡氏の憔悴し切った様子が随所で伝わってくる。当局許可のない探検に、地元の協力者は途中で同行を取り下げる。延々と続く深いヤブの湿地帯、雨と雪に見舞われながら、数知れない峠のアップダウンを繰り返す。最大深度6000メートル以上の峡谷の環境はきわめて過酷であり、同氏が進んでいた右岸は山脈の北側(もっとも日当りの悪い場所)で、地面はグズグズ、掴もうとした草の根や木の幹が「地面ごと」はがれ落ちるような状況だったという。当初想定していたルートはオーバーハングの崖に阻まれて踏破不可、やむなく近隣の村へ抜けるルートへと切り替えるが、途中で雪に見舞われ、食料は尽き、まさに命がけの単独行になる。

 エピローグで語られる「死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている」「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない」という角幡氏の言葉は、この決死行の場面をつうじて大きな重みをもって響いてくる。すでに多くの秘境が踏破された現代の世界では、万人をワクワクさせるような「冒険」「探検」をすることが難しくなっているのは周知のとおり。そのなかでも本書は、その冒険する場所じたいの面白さ(つい最近まで「人類未踏の峡谷」があったなんて!)に加え、峡谷の探検史とチベット文化の説明を効果的に散りばめており、臨場感あふれる著者自身の記述のうまさも相まって万人をのめり込ませる内容になっている。

(2012年、集英社文庫

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