Foomin Paradise (読書ブログ)

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緒方 貞子 『紛争と難民 緒方貞子の回想』

 1991年から2002年まで国連難民高等弁務官を務めた緒方氏による在任当時の回顧録イラク北部、バルカン、アフリカ大湖地域、アフガンの4地域に焦点をあて、人道問題の課題と展望を分析する。

 冷戦終結後、世界各地で数多く勃発した人道危機に対応すべく、緒方氏の指揮の下、UNHCRの活動は大きく変貌を遂げた。同氏いわく「難民に焦点をあてた国連システムの人道組織から、拡大する人道活動と協力機関の調整を行う役割を担わなくてはならなくなった」。冷戦が終わり、民族主義や地域紛争による新たな人道危機が噴出した1990年代にあって、従来の狭いマンデートに縛られたままでいることは許されなかった。同氏は、単に人道援助を指揮するのみならず、必要があれば危機のそもそもの原因である紛争を解決するよう、関係国や国連の政治機関に常に歯に衣着せず働きかけを行い、また軍との協働によって活動を展開することを厭わなかった。また紛争直後の緊急支援とその後の開発援助との空白を埋める必要性を痛感し、その理論化、また関係機関を巻き込んでの実践(住居建設や修復、共生のための雇用創出、女性の地位向上といった、難民の帰還と復興のためのプロジェクトの計画・実施)にも努めた。

 いっぽうで本書から浮かび上がってくるのは、同氏が直面した課題の複雑さ、そして人道機関としてのマンデートだけではその全てを解決できなかったという冷徹な事実と、緒方氏自身の痛恨の思いだ。序章の終わりで同氏は、自身が幾度も口にした「人道問題に人道的解決なし」という言葉の真意を明らかにする:「人道援助は一定の期間、戦争犠牲者の困窮状態を改善し、命をつなぐ手助けをしてきたが、それだけでは問題解決にならなかった。時として、人道援助活動は紛争を長期化させているとして非難されたが、だからといって和平も到来せず、政治解決も行われないうちに何万人もの人々に対する援助を打ち切るというのは現実的な考えではない。『人道問題に人道的解決なし』という発言は、私のいらだちの発露であり、何もせず手をこまねいて傍観せよという意図では毛頭なかったのである。」

 人道援助だけでは根本的な問題解決はなしえない、というのは本書で幾度も繰り返されるメッセージだ。とくにアフリカ大湖地域の紛争では各国の利害が入り乱れ、とくに「フランスとアメリカが異なる政治的立場をとったことは、(紛争)解決の可能性を損ねた」。こうした状況は人道危機の長期化を招くとともに、ジェノサイドに関与した旧政権の指導者や民兵が紛れ込んだ難民キャンプでの活動には多くの困難がつきまとった。緒方氏は当時、何度も安保理に足を運んで説明と支援要請にあたったが「支援する諸国は概してUNHCRの要請に共感し、人道援助を行うのに必要な物資、要員、資金といった資源を提供してくれた。しかしながら、紛争を解決するために肝要な政治的・軍事的な介入に関しては、安保理での立場や、二国間の行動を決定するうえで、地政学的あるいは国家利益との境界線を踏み越えようとはしなかった」。UNHCRは、試行錯誤のすえ国際監視団によって指揮されるザイール軍兵士から成るザイール保安隊(CZSC)を編成するが、これは同氏の言葉によれば、あくまで「難民キャンプにいくばくかの法と秩序と安全を導入するという、現実的なニーズに対処する暫定的措置として理解されるべき」ものに過ぎなかったという。
 
 本書を読んで改めて感じさせられるのは、問題解決のためには従来の枠に囚われない、緒方氏のどこまでもプラグマティックで柔軟な思考だ。高等弁務官に就任早々の1991年、イラク北部で進行したクルド人の人道危機に際し、人々が危機に瀕しているのならば「国内避難民」であっても活動の対象とし、その安全確保のためには政治指導者との交渉も辞さないという、従来の国際難民を対象としたマンデートの枠を超えその後のUNHCRの方針を形づける判断を下す:「私は現実的な人道的方針をとることとした。UNHCRのマンデートについての問題は、難民の生命を守るという基本原則にのっとって解釈されるべきであると信じたからである。」また旧ユーゴ紛争におけるNATO空爆に触れるくだりで、同氏は「私は人道援助を迅速にするための武力行使には反対であったが、政治解決を後押しし、戦争を終結させるための武力行使には、特定の立場をとらなかった。もし、戦争を終わらせるために人道活動を一時停止することが必要になれば、停止するべきであると私は考えたからである」とも回顧している(ただしその結果としてうまれた同空爆の民間人への被害など負の側面についても指摘、軍事作戦としての有効性には疑問を呈してもいる)。

 その根底にあるのは、人道機関は苦境にある人々の側に寄り添わなければならないという、同氏の揺るぎない信念だ。アフリカ大湖地域の危機では、ルワンダ軍とAFDLの侵攻を受け、ジェノサイドに関与した旧ルワンダ政府指導者や軍、民兵を含む数十万単位のフツ系難民がザイール西方のジャングルへと散って行った。UNHCRは可能な限り彼らとのアクセスを保とうとしたが、そこはまさに紛争の最前線であり、現場のオペレーションは困難を極めた。難民の集団を発見し、仮設キャンプに収容しても、AFDLらの妨害にあって地区ごと封鎖されてしまう。UNHCRの現地責任者は撤退の可能性も含めて緒方氏の見解を仰ぐが、同氏は悩み抜いた末、現地に留まるよう勧める:「難民が危機にさらされているときにこそ彼らの傍らにいることが、われわれUNHCRにできる最も重要な仕事である、と私は信じていた。救うことのできる命がまだあるかもしれなかった。」そしてAFDLに対し、人道援助活動への妨害を止めるよう、あらゆる政治的手段をもって国際的な圧力をかけ続ける。より状況が悪化した1997年9月には、UNHCR活動の一時停止を発表するが、それもひとつには、より強い政治的コミットメントを行うよう安保理に圧力をかけるためだったという。

 こうした緒方氏の率直な回顧、そこから汲み取れる教訓は、今後の世界の課題に取り組むうえで大きく参考になるものだ。とくに紛争直後の緊急援助からその後の長期的な開発援助に至るまでのシームレスな活動は、この時代の緒方氏とUNHCRによって本格的に取り組まれ、その後のこの分野にの活動におけるメルクマールとなった。また官僚にありがちな前例主義に囚われず、新しいタイプの危機に対し新しい方策をもって柔軟に対応した点も、これからの時代の人道機関のトップに求められる資質と規範を示した。そして何より、危機の根本的な解決には、人道機関の活動のみならず、国連や安保理常任理事国の政治的な意思が不可欠ということを、世界の政治指導者は頭の中に叩き込む必要がある。また本書は、イラク北部、バルカン、アフリカ大湖地域、アフガンの4地域のうち、とりわけバルカンとアフリカ大湖地域に多くのページを割いている。人道支援や難民問題、平和構築に関心のある実務家や研究者のみならず、これら2地域の現代史に関心を持つ方々にとっても重要な記録と思われる。


(邦訳:佐藤 晴江 訳、集英社、2006年
 原著:Sadako Ogata, "The Turbulent Decade: Confronting the Refugee Crises of the 1990s" 2005.)

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