Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ジャクリーン・ノヴォグラッツ 『ブルー・セーター』

 社会起業家への投資を通じて貧困問題に取り組むアキュメン・ファンド創立者で現CEOのノヴォグラッツ氏が、「市場と慈善の中間」という現在のアプローチに至るまでの半生を綴った自伝。

 アキュメン・ファンドは、公衆衛生、農業、給水といった分野において、民間の商業銀行や資本市場では対応しえない、長期的なリスクテイクを必要とする社会的事業に対し、ノヴォグラッツ氏が呼ぶところの「忍耐強い資本(Patient Capital)を提供している。バラマキ型の慈善事業(同氏いわく、概して何も成果を生まないどころか、対象者の自立心・起業家精神までも奪いかねない)と違うのは、対象事業のビジネスモデルと収益性を精査し、資金の借り手に相応の説明責任を求めること。提供する資金の形式は、初期に実施していた助成金(無償資金)を取りやめ、現在は出資ないし融資のみ。同ファンドのHPによれば、2012年末までに提供した資金は、計73社、総計8300万ドルに上る。同ファンドに資金を提供する法人・個人は「投資家」と呼ばれ、ゲイツ財団やグーグル社、シスコ社など錚々たる顔ぶれが並ぶ。とはいえ同ファンドはあくまで非営利組織であり、「投資家」から調達される資金に対して何らかの配当や金利を支払うことはせず、本書の表現を借りれば「投資はお金で返ってきません。配当は(投資先の社会事業の成功によってもたらされる)変化です」という約束のもと運用され、借り手から回収した資金は新たな借り手へと振り向けられる。

 このアプローチは、途上国開発における民間資金の貸し手と借り手のミスマッチを解消しうるという意味で、画期的なアイデアと思える。とくに米国文化の中では、金銭的な一定の成功を収めた人は、その資金を社会貢献のために役立てたいと考えるのが普通だ。しかし従来型の慈善団体による事業は、本書でも幾つかのケースが描写されるように、事業の収益性や現地市場への適合にときに無関心で、結果としてその持続性を失わせることがあった。自分の資金を「本当に役立てたい」と願う投資家にとって、こうした状況はフラストレーションであったに違いない。他方、途上国の企業家を見るとき、バナジーとデュフロが指摘したように、一定規模の事業を興そうとするときマイクロファイナンスでは小さすぎ、また民間銀行からの融資は、特に短期的な利益見込みの薄い社会的事業の場合、敷居が高すぎる。そこで彼らの社会的ビジョンに共鳴し、リスクを承知で「忍耐強い資本」を大量に提供してくれるファンドが現れれば、ブレイクスルーになりうる。本来はたとえば途上国の政府部門(公的金融)がこうした役割を担うべきなのかもしれないが、実際には途上国の政府部門自身も資金や人材(事業を見極められるだけの経営やファイナンスの知識・経験が必要)の不足に悩んでいるケースがある。また海外の援助機関もイースタリー氏の指摘のとおり、途上国の人々や企業にとってのインセンティブ、あるいは途上国市場のメカニズムについてこれまで概して関心が低かったといえるし、また特定企業への優遇貸付にはときに倫理的な問題も付きまとう。

 民間の慈善資金をプールし、社会的成功の可能性を秘めた起業家につなぐ。単純に言ってしまえばそれまでだが、この独創的なアイデアを多くの人に認めさせ、実際に資金をかき集め、「成功」する起業家を途上国で見つけ出すという、途方もない仕事を成しているのがノヴォグラッツ氏である。本書では、チェース・マンハッタン銀行で融資を学び、非営利団体に所属してアフリカに飛び、ロックフェラー財団での経験を経て、アキュメン・ファンドを立ち上げ軌道に乗せるまでが描かれている。初めて訪れたアフリカでは、銀行での貸付審査の経験を活かして奮闘するも、カウンターパートの協力を得られず挫折を味わう。ルワンダでも、ともに小口融資基金を立ち上げた親しい女性議員が保守派の手で殺害されてしまうなど、多くの苦難に直面する。外国人としてより謙虚な姿勢で、でも批判的な眼は失わず、ルワンダで女性向け小口融資と女性グループ事業(ベーカリー)を成功させるが、MBA取得のため同国を離れた後の1994年にジェノサイドが勃発。現地でともに事業に携わった人々は、多くが殺されるか、難民キャンプを行き来し、あるいは扇動者として内戦後投獄された。自分の限界に何度もぶち当たり、ジェノサイドの経験を通じて人間の中にある闇に触れながらも、ノヴォグラッツ氏は希望を失わず、「20代の頃の理想主義が、40代になってもどってきた。ただの願望ではない。地に足をつけ、プラグマティズムをもって前を見るのだ」と、慈善と市場の両方に携わった自身の経験を活かして、ユニークなアプローチをついに実行に移す。つねに奮闘と苦楽に彩られた同氏のストーリーは、400ページある厚みを感じさせないほどドラマティックだ。

 アキュメン・ファンドは、設立から10年以上を経て、既に一定の成功モデルを示しつつあるように見える。上記の8300万ドルの資金の借り手の中にはもちろんうまく行かなかった事例もあるだろうが、すでに幾つかの事例では社会的に大きなインパクトを生んでいる。たとえば日本で良く知られているアフリカ向け社会事業の例として住友化学のオリセット・ネットがあるが、同社がタンザニアの現地パートナーであるA to Z Textile社に技術を供与するのに併せ、アキュメン・ファンドは2002年、その最初の工場設置のために35万ドルの融資を行った。今では住友化学とA to Z Textile社の事例は、アフリカの開発に携わる人なら知らない人はいないサクセス・ストーリーだ。このアプローチで恐らくもっとも難しいのは、可能性に満ち、かつ信頼に足る途上国の社会起業家をどうやって見出すか、ということ。下手を打つと投資自体失敗に終わるし、もし成功したとしても、その後の民間銀行の出番を奪わないよう(市場を歪めないよう)、事業と財務基盤がしっかりしたところで手を引く必要がある。あくまでニッチなところに投資するだけに、その選定とタイミングは常に難しく、事業・財務に対する高い知見と、絶妙なバランス感覚の両方が問われる。それを成すだけの優秀な人材とガバナンスを保ち続けられるかどうかが、この新しいファンドの長期的な成否を占うように思われる。

 
(邦訳:北村 陽子 訳、2009年、英治出版
 原著:Jacqueline Novogratz, "The Blue Sweater: Bridging the Gap between Rich and Poor in an Interconnected World" 2009.)

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