Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

E・H・カー 『歴史とは何か』

 外交官・歴史家のカー氏が1961年にケンブリッジ大学で行った講演録。
 
 「歴史とは何か」という大きな問いに、冒頭から明確な答えが出されている:「歴史とは(事実の取捨選択を行う)歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」この一文に触れるだけでも、本書を手許に置く価値があると思う。現代日中の歴史認識の相違の例を持ち出すまでもなく、歴史とは万人にとって普遍の物語ではなく、相対的に作り上げられるものである。カー氏はさらに、「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的および社会的環境を研究してください。歴史家は個人であると同時に歴史および社会の産物なのです。」と、安易に歴史を解釈することにも警鐘を鳴らしている。
  
 個人的に一番共感したのは、19世紀の西洋諸国がアジアやアフリカ植民地に住む人々に対する長期的な経済上の利益をもたらした、という歴史観に対し、「代償を払う人間が利益を得る人間と一致することは稀にしかないのです」と述べ、歴史上の道徳的判断の無謬を否定する箇所。結果として後の世代の利益につながったとしても、苛烈な植民地支配の渦中にあった人々の辛苦を過小評価することはできない。歴史上の事象は短絡的に解釈できるものではない、というカー氏の戒めのひとつである。
 少々こじつけて言えば、現代の指導者には、このカーの言を逆手にとって、未来の利益のために現在の苦難を受け入れる臥薪嘗胆の試みを、代償を払う側の人々に丁寧に説明する義務があるように思う。ぱっと頭の中に思い浮かぶのは、批判を恐れるあまり歪みを放置し続けてきた日本の年金制度。制度改革を先延ばしにすればするほど、福祉国家の永続という現代日本の試みは、破綻のリスクを増してゆくことになる。

(邦訳:清水 幾太郎 訳、1962年、岩波新書
 原著:E. H. Carr "What is History?" 1961.)

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/F/Foomin/20190829/20190829193045.jpg