Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー 『新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』

 1985年に当時の西ドイツ大統領ヴァイツゼッカー氏が国会で行った終戦40周年記念演説の全訳。

 ドイツと日本の戦後処理の違いは学生時代からの疑問なのだが、改めてこの有名な原稿を読んでみると、歴史と真摯に向き合う「覚悟」の違いに、改めて驚かされる。日本では、旧日本軍の過ちについて現代の日本人が責任の一端を負うべき、と直言する向きは少ないが、ヴァイツゼッカー氏は「先人は彼らに容易ならざる遺産を遺したのであります。罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされております。」と断言する。そして、「われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻み続けることがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人々が理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲岸不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人々の助力をしたいと考えるのであります」、と続ける。

 この過去の負の歴史に臨む「覚悟」の差は一体なんだろうか。外圧の差、という図式は分かりやすい。米国の庇護の下、早くに高度経済成長を実現し、早々に中国や韓国・東南アジア諸国に対して資金・技術援助をする立場にのしあがった日本。いっぽう、戦勝国であるフランスやソ連、英国らに四方を物理的に囲まれ、安全保障・経済外交上、生き延びるためには過去に対して真摯にならざるを得なかったドイツ。
 あとは、当方は別に自虐史観者でも何でもないのだが、そもそも国の指導者が持つ歴史観・国家観の深さのスタンダードも違うのではないか、とも思う。ヴァイツゼッカー氏は、本演説原稿作成の過程で、あまりに率直な内容のために他の国会議員らから物言いを受けたものの、数ヶ月に及ぶ根回しを経て、発表にこぎつけたという。与党の指導者でありながら、過去の歴史に向き合うことを国民に対してここまで直截に求めた指導者が、かつて日本にいただろうか。昔も今もそうだが、過去に起こった事実を冷静に見つめ、かつ世界の動向を注視することなしに、一国が進むべき方向性は定まりようもない。

(2009年、岩波ブックレット

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