Foomin Paradise (読書ブログ)

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ジェラール・プルニエ 『The Rwanda Crisis: History of a Genocide』

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 フランスの歴史家プルニエ氏が、ルワンダのジェノサイド直後の時期に、その背景と経過、その後の展望を分析した本。

 ルワンダのジェノサイドについて書かれた本は数多あるが、その中でも本書はその背景と経過をもっとも初期に分析した本。この分野では必読の本であり、その後に出版されている多くの類似書で、ほとんど必ずと言っていいほど参照されている。

 プルニエ氏は、ルワンダのジェノサイドを「分析、説明できるプロセスの結果だ」と断じ、ひとつひとつのファクターを丹念に検討していく。もともと肥沃な土地であったがゆえに多くの余剰が生まれ、中央集権型の政治システムが早期に出来上がり、権威に従順な国民性が長きにわたって醸成されたこと。被支配階級だった多数派のフツにシンパシーを覚えた、母国で同様の境遇にあったフラマン系ベルギー人聖職者が、フツ主導での独立に大きな役割を果たしたこと。独立をきっかけとして、もともとの土地に暮らす農民だったフツこそが正統なルワンダ人とする新たな神話が生まれたこと。当時の支配者層にとって富の元だったコーヒー・茶、スズ、海外援助のうち、1980年代の国際価格暴落によって前者2つの権益が失われた結果、エリート間の政治闘争が盛んになったこと。ジェノサイドを主導した旧指導者層は最後の最後まで、大湖地域のアングロ・サクソン化を嫌うフランスから暗黙の支援が得られるはずだと考えていたこと(実際そのとおりになった)。当時のフツにとってRPF(ツチ系の反政府勢力)の脅威は本物で、1991年以降のRPFのルワンダ北部への侵攻の結果、30万近い人々が国内避難民としてその地を逃れていたこと。

 印象的だったのは、「ジェノサイドの首謀者たちは、こんな蛮行を本当にやり通せると思っていたのか?」という問いを考察するくだり。プルニエ氏によれば、ジェノサイドの成否は「国連はじめ国際社会の消極姿勢、ジェノサイドに対する国民からの支持、(フランスからの)軍事支援、ジェノサイドを組織だって実行しうる行政上の効率性」にかかっていたが、実際にこれらは現実のものになった。唯一の誤算は、RPFの軍事侵攻に抗しきれなかった点だ。「もしRPFがいなければ?」という問いに対しては、「おそらくジェノサイドの首謀者たちの企みは成功していただろう」。国際社会からの非難や経済的制裁を受ける一定期間の後、中国やイランといった西欧と距離を置く国々から関係正常化がはじまり、その後フランスやベルギーもその列に加わる。スハルトによる中華系住民や東ティモールでの虐殺や、ミャンマーの軍事政権による自国民の迫害など、いったい誰が覚えているだろう。「外国人にこの小さな天安門事件のことを忘れさせるためには、中国ほど大きな国である必要などないのだ」とプルニエ氏は言う。ジェノサイドを首謀した人々は、実際にこうした冷徹な計算をした上で、虐殺のゴーサインを出したのだろう。自らの既得権益を守るために、醜悪なイデオロギーを広め、そして自国の全人口の少なくとも1割を虐殺する命令を、意図的に下したのだ。
 
 プルニエ氏自身が述べているとおり、本書はどちらかというとRPF寄りの立場を取っている。それは、同氏自身がフランス人であるという事実とも微妙に関係しているかもしれない。有識者として仏ターコイズ作戦の立案にも深く関与したプルニエ氏は、ジェノサイドの最中、そしてその後も、人道目的としてアピールされた同作戦を隠れ蓑にしてフランス政府が深く旧フツ政権側を支援していたことを誰よりも良く知っていた。その欺瞞に対する嫌悪が、本書における同氏の姿勢に表れている可能性は多分にある。本書の結論のひとつとして同氏は、今後のルワンダに必要なものとして「正義と(復興のための)お金」の2つを挙げ、そして「決してこの順番を取り違えてはならない」と述べる。社会に正義がもたらされない限り、すなわちジェノサイドの首謀者たちに罰が加えられない限り、真の意味で復興に至ることなどありえない。そして同氏は、ジェノサイドの指導者として知られるバゴソラ大佐ら複数の実名を挙げたうえで、「これらおそらく100名程度の人々は、人道に対する罪を犯したのみならず、この国を異常な地獄に叩き込み、聖霊を冒涜した。彼らは死ななければならない。それが彼らの罪を浄化し、生き残った人々が通常の生活に戻るための、唯一の手段だ」と言い切る。ふつう学術書の類では目にしない「They have to die.」という強烈な一文に、思わずぞくっとした。そしてプルニエ氏は、ジェノサイドが放置されたのと同じように、この資源のない小国に、正義(をもたらすための支援)と(復興のための)お金がもたらされる見込みは少なく、悲劇は繰り返されるだろう、と悲観的に述べている。

 「正義とお金」。前者については、今でも完全に決着したとは言えない。ジェノサイドの首謀者の幾人かはアルーシャの国際法廷(ICTR)で裁かれたが、同法廷がもたらした成果については賛否両論あり、実際に多くの容疑者は未だに国際指名手配されたままだ(フランスには今でも多くの容疑者が潜伏しているとされ、ルワンダ政府はこの点について今でもフランス政府を厳しく非難し続けている)。ナタや棍棒で実際に殺戮を行った10万人を超える直接の加害者たちの裁きは、伝統的な仲裁制度であるガチャチャを応用して、少なくとも形の上では近年ようやく終息した。後者の「お金」について、内戦後のRPF政権は、強力なリーダーシップと清廉なガバナンスによって、ルワンダに多くの資金を惹き付けることに成功した。これにより経済発展と貧困削減が猛スピードで進んできたのが、ジェノサイド以降のこの20年間だった。とはいえ、陥穽もなくはない。本書の最後、補遺ですでに指摘されているとおり、内戦直後のRPFはフツとツチから成る統一政府を組織したが、実際はRPFによる実質的な権力の独占であり、平均的なフツ農民から見れば「まるで外国の政府」のように映るものだった。プルニエ氏は、こうした状況を「短期的には相対的な平和をもたらすが、長期的には極端な脆弱性が残される」と分析した。経済面では「アフリカの奇跡」と呼ばれつつある現在のルワンダだが、この最後のプルニエ氏の指摘は、残念ながら、おそらく真実だ。

(1997年、Columbia University Press


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