Foomin Paradise (読書ブログ)

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クライブ・ポンティング 『緑の世界史』

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 英国の歴史学者・ポンティング氏が、文明の起こりから現代に至る人類史を、自然環境や資源エネルギーの利用など「環境」の視点から解説する本。

 本書は、かつて高度な祭祀文明を築きながら森林破壊によって衰退したイースター島についての挿話から始まる。おおむね時系列に人類史を振り返って行くが、焦点を当てるトピックによって章が分かれている。取り上げられるトピックは、農業と文明の起こり(最初の大転換)、環境破壊によって衰亡した古代文明、人口増加と食糧生産のせめぎ合い、ヨーロッパの世界進出、環境に対する人間優位の思想史、野生動物の受難、余剰生産と分配の問題、疫病の蔓延、石炭・石油エネルギーの開発(第二の大転換)、都市の台頭、現代のさまざまな環境汚染などである。
 
 個人的に面白かったのは、環境に対する人類の思想を追いかけた章で、とくにヨーロッパでは、その思想の源泉である古代ギリシャ・ローマの古典思想、ユダヤ教キリスト教思想の両方において、人間が自然に対して支配的な立場にあるという信念が見られると述べる。確かに『旧約聖書』の創世記にも、人間は他の動物の支配者として一番最後に神によって創造されたという描写がある。近代に起こった経済学についても「地球の資源が単に希少なだけでなく有限であるという基本的な事実を見過ごして」おり、ヨーロッパ人による資源収奪を正当化するのに役立ったという。他方、自然との均衡・調和を重んじる中国の道教思想、アメリカ・インディアンの思想などが西欧キリスト教思想と対極にあるものとして紹介されている。
 
 環境汚染のひとつとして、近代までの都市の衛生状況について触れた箇所も興味深かった。「もしも20世紀の先進国に住む人が、19世紀以前の町にタイムスリップしたら、その悪臭に恐れをなして逃げ出してしまうに違いない。」とくにヨーロッパの諸都市では、排泄物や生ゴミが日常的に街路に捨てられ、それを洗い流す下水設備も整備されていなかった。宮殿や公共施設では、訪問客が建物の隅で日常的に用を足していた。汚水が流れ込む河川の水はそのまま上水にも使われ、疫病が蔓延する原因にもなった。水道網の整備、下水処理技術や浄水技術の発達によってこれらの問題が解決されはじめたのは、ようやく19世紀後半になってからだという。

 人類史における環境要因に焦点を当てている点でジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』と趣が似ていなくもないが、こちらは環境に関連する事象をあくまで淡々と拾い上げていくスタイルを取っており、何かひとつの論旨や結論がある訳ではない。原書の発行が1991年ということもあり、ポンティング氏による今後の展望は全体的に悲観的だ:「エネルギーや資源を大量消費し、深刻な環境汚染を抱える現代の工業社会と、人口が急増している第三世界が、生態学的に見て持続可能かどうかは一目瞭然だろう。」そこから20年以上が経過し、環境に関する人々の意識は高まり、いくつかの領域では環境負荷を減らすための技術や国際的枠組みが前進しつつある。今ではもう少し楽観的になって良い気もするが、それでも本書で紹介される過去の社会の教訓やエピソードを知ることは、依然として有益だろうと思う。

(原著:Clive Ponting "A Green History of the World" 1991.
 邦訳:石 弘之/京都大学環境史研究会 訳、1994年、朝日選書)

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