Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

大原 悦子 『フードバンクという挑戦 貧困と飽食のあいだで』

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 ジャーナリストの大原氏が、「余っている食べ物を、困っている人に」届けるフードバンクの試みについて、米国・日本での取材をもとに紹介する本。

 製造や流通の過程で一般小売店には卸せないと判断された食品(中身は問題ないが、梱包していた段ボールの一部がへこんだ、等々)、総菜会社の余剰材料として使われない生鮮食品など、賞味期限内にもかかわらず廃棄されてしまう食品が巷にはあふれている。これを一旦集めてプールし、福祉施設への配布や支援を必要としている人たちへの炊き出しとして活用するのが、フードバンクの役割。フードバンク発祥の国・アメリカでは、無料寄付による食品のみならず、寄付だけでは集まりにくい需要の高い加工食品(マカロニやツナ缶)について食品会社と独自に契約し、安価に製造・販売してもらう団体まで出てきているとのこと。

 本書で紹介される、日本初の本格的なフードバンク「セカンド・ハーベスト・ジャパン(2HJ)」の活動と、その創設者・マクジルトン氏の半生からは、どのような人たちがどのような思いからこの仕事をされているのかを知ることができる。貧しい家庭で育ち、アルコール中毒から立ち直ったマクジルトン氏は、海軍の仕事をきっかけに日本を訪れ、留学中に山谷の教会を拠点としてさまざまなボランティア活動をおこなう。施しを受ける側の気持ちが知りたいと、隅田川の橋の下で15ヶ月も段ボール生活を続けたこともある。その結果分かったのは、自分がいかに「いかにわかっていなかった」か。本書のこのくだりでは、「単純で素朴な思いやりくらいでは、ほんとうのことは見えないはずです。そこに気づくことが大事」という、釜ヶ崎で活動する本田氏の言葉が添えられる。施す側・施される側のある種の上下関係を超えて「ペンがないならこのペンを使っていいよ、というのと同じ感覚(で食料を配布する)。いやなら受け取らなくてもいい。義理や束縛はいっさいないし、お金もお礼のことばも必要ない」「彼らをかわいそうに思わない、決して特別扱いしない」というのが今のマクジルトン氏のスタンス。

 当方本書を読むまでは、フードバンクがどんな仕事をする団体なのか、正直詳しくは知らなかった。でも本書を読んで、いろんな疑問が少しずつ氷解して行くのがわかった。たとえば:

・廃棄食品って賞味期限の切れたものが大半な気がするが、それでも良いのか?
→少なくとも本書で紹介されているフードバンクでは賞味期限内の食品のみを扱うのが原則。わざわざ賞味期限切れのものに手を出さなくても、供給はたくさんあるようだ。

・他者からの施し、とくに日常生活に不可欠な食料品を受けとる側には、それなりの抵抗があるのでは?
→もちろんそうだし(本書では「生活に困った人がパントリーのドアをたたくときは、恐怖と失意のどん底にあり、最も屈辱を感じている瞬間なのである」という言も引かれる)、本書で紹介されるフードバンクで働くスタッフの方々にも大きな逡巡がある。一言で片付けることができるほど簡単なクエスチョンではないが、それでも今のこの社会にフードバンクの需要があるのは事実。

・そもそも、食品の配布を希望する人たちがいないような社会保障・福祉の仕組みを作ることのほうが重要なのでは?
→本書で紹介される米フードバンクのスタッフの方の答えは、もちろん長期的にそうした仕組みが作られることは重要だが、目の前にお腹をすかせた人々がいるのなら、誰かが彼らに食べ物を届けなければいけない、というもの。確かに短期療法だけに頼っても駄目だが、現実を見ればそれは必要。

 日本はまだまだフードバンク黎明期で(農水省の調査によれば、フードバンクという言葉じたい、まだまだ日本では知られていない)、こうした活動を支える法律や税制も整っていないのが現状のようだが、間違いなくもっと多くの人たちに知られて良いアイデアだし、自分も機会あればこうした活動に何らかの形で貢献していきたいと思う。

(2008年、岩波書店

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