Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

山下 一仁 『農業ビッグバンの経済学 真の食料安全保障のために』

 元農水官僚の山下氏が、既存の農政の問題点を指摘、減反廃止や一定規模の主業農家支援を軸とした構造改革の方向性を示した本。
 
 本書の主張は、冒頭に記載されているこの一文に集約される:
減反(生産調整)を段階的に廃止して米価を下げれば、コストの高い兼業農家は耕作を中止し、農地を貸し出すようになる。そこで、一定規模以上の主業農家に直接支払いを交付し、地代支払い能力を補強すれば、農地は主業農家に集まり、規模は拡大し、コストは下がる。また環境にやさしい農業を実現できる」
 農地集積の促進米作の規模拡大は他にもさまざまな識者が主張しているが、本書はそうした農政改革の方向性をより包括的、かつ具体的に論じたもの。山下氏は農水官僚ではあるが、ガット室長を務めていたこともあり、旧然とした保護主義の立場には立たず世界貿易体制への参画を踏まえた上で論を進めて行く。具体的な政策として、フランスを参考としたゾーニング(都市地域と農業地域の明確な区別)の強化とそれに伴う農地転用期待の消滅、減反補助金の段階的廃止と一定規模の生産者への直接個別補償(民主党政権が導入した減反を維持したままの個別補償とは異なる)、農協・農水省の抜本的機構改革、ブランド化や海外マーケティングを通じた農産物の輸出促進などに言及している。

 この主張を補強するかたちで、日本の高米価政策とは対照的なEUの事例についても紹介している。ウルグアイラウンド交渉を迎えるにあたって、穀物生産価格の引き下げ及びそれに変わる直接所得補償への切り替えを行った結果、域内価格引き下げにより飼料用の輸入穀物が域内穀物で代替され穀物在庫は一掃された。かつ米国産の穀物に比べ価格競争力が強化されたことにより、「EU産農産物の国際競争力及びEUWTOでの交渉ポジションは大幅に強化された」と言う。
 他にも、いわゆる小規模農家のステレオタイプに関連して「国民が農業に接することが少なくなったため、小農は貧農であり、肥料・農薬も使えない農業をやっているのだという戦前のイメージを、著名な知識人をはじめ多くの国民がもってしまうのである」「週末しか農業をしない小農、兼業農家は、雑草が生えると農薬をまいて処理してしまう。時間に余裕のある主業農家ほど有機農業や農業の複合経営への取り組みに熱心である」と述べる。減反廃止によるコメの増産については「(花や野菜と違って)稲作についてはマニュアル化が進んでいるので、機械の使い方さえ習得すれば、容易に農業ができる。現に、週末しか農業を行わない兼業農家でも営農しているのである」とし、意欲ある新たな就農者にとってハードルはさほど高くないと見る。
 
 かつて農商務省に在籍した柳田邦男が発表した農政改革案についても言及している。本書によれば柳田氏は『中農養成策』のなかで、当時の「地主階級が米価引き上げによる所得向上を狙ったのに対し、柳田は、消費者家計のことを考えると、米価の引き上げではなく構造改革によるコストダウンによって農家所得を向上すべきだと主張した」と言う。当時と時代背景の違いこそあれ、かの柳田氏が既得権益を有する特定のグループでなく消費者の目線での構造改革を主張していたこと、そして奇しくも約100年後の現在同様の議論が展開されているのは、とても興味深いことである。

 本書全般を通じて、自身の主張を理論面で裏付けるためか、経済学の理論や数式が随所で登場し、それが逆にスムーズな議論を妨げてしまっている感はある。とはいえ現在議論されている農業の構造改革というのがどのようなものか、その全体像を知ろうとする上では有為な本だと思う。


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