Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

高野 秀行 『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』

 『ワセダ三畳青春記』などで知られる作家の高野氏が、ソマリランドプントランド、そして南部ソマリアで取材した内容を綴ったルポルタージュ

 「これ以上面白いノンフィクションはもう二度と読めない」という帯のキャッチコピーどおり、ソマリアに単身乗り込み、カート(東アフリカ・アラビア半島に自生する常緑樹の一種。麻薬の一種とされる)をバク付き地元の人々の懐に入り込み、そのせいで便秘に悩まされ、ときに危ない橋を渡りながらこの地域の謎を解き明かして行く様子はとにかく面白く、500ページ近い厚さを感じさせない。この国について、表面的な情報はある程度知られていても、「リアル北斗の拳」の世界でどういう人たちが暮らしているのか、「失敗国家」であるにも関わらず全国でひととおり経済が回っているのは何故か、そうした中でなぜ北部ソマリランドだけが治安と民主主義の確立に成功したのか、といった問いに正面から掘り下げて答えてくれる本は、少なくとも日本語ではこれまでほとんど存在しなかった。その意味では、きっと学術的にもかなりの価値があり、かつそれを面白く分かりやすく教えてくれる本書は、純粋にものすごい本だと思う。

 ソマリアが氏族(ソマリ族の中の氏。主なものにソマリランドを中心的に構成する北部のイサック氏、バーレ元大統領を輩出した中部のダロッド氏、アイディード将軍を輩出し今も南部の騒乱の中心となっているハウィエ氏)を基本単位とした社会であり、それがこの国の秩序と安定を難しくしていることは、当方も何となくは知っていた。が、高野氏は現地でこの問題により深く切り込む。全てのソマリ人は、その氏族の中のどの分家、分分家、分分分家、、、、に属しているかによってアイデンティティを持っており、それは日本で言う「住所もしくは本籍」のようなもので、それが掟を破った者を特定し、罰したり補償したりする際のよりどころとなっているという。何かもめ事が起きた際には、被害者が望めば加害者が物理的に罰せられるか、あるいは相応のディヤ(補償金。例えば殺人や死亡事故の場合、男1人はラクダ100頭、女1人は同50頭。現代ではラクダ1頭が230ドルに換算されて、現金で支払われることが多い)を加害者の氏族が分担して被害者の氏族に支払うという仕組みが、ヘール(ソマリ人社会の伝統的な掟ないし契約)によって出来上がっている。

 本書で明かされるソマリランドの国家統治の見事さは、その政治上の権力配分バランスからも見て取れる。国内の二度の内戦を経て、特定の氏族による利権追求を避けるため、あらかじめ特定される3党のみによって構成される議会、同3党の候補者最大三名から選出される大統領、そして氏族の長老からなるグルティ(長老院)が権力を構成する。この3党は、全土を6つの選挙区に分けた上で、高い得票率の順に決められるが、政党として認められるためにはこのうち最低4つの選挙区で20パーセント以上の得票が必要、すなわち事実上全ての氏族からの支持を得る必要がある。こうして政治から氏族の存在感を消す代わり、その行き過ぎを氏族の伝統的な知恵(グルティ)をもって監視するというシステムになっている。ソマリランドが内戦を独自に集結させこうした卓越した政治制度を作ることができた理由としては、①南部(旧イタリア領)と違って英国による間接統治の結果、ヘールなど多くの伝統的な問題解決の仕組みが残った、②相対的に戦争が頻発した地域であり、それがゆえに人々が停戦の手続きに慣れていた、③産業のある南部と違って奪い合う利権が少なかった、というのが高野氏の見立て。そして最後に、④国際社会からひとつの国として認められたいがために、制度をより良くする努力を惜しまなかった、という理由もある。

 高野氏は本書のなかで、ソマリランドのみならず海賊ビジネスが跋扈する中部プントランド、アル・シャバーブ撤退直後の首都モガディシオ(南部ソマリア)も訪れている。「氏族の名は決して明かさない」という地元メディアの不文律のせいで国際ニュースの中でも分かりづらくなっているが、ひとたび海賊事件が起こると、地元の長老や氏族が人質や身代金の交渉に動きだし、それだけでかなりの金が地元に落ちるというのがプントランド沖の海賊事件の構図らしい。もともと遊牧民の力が強かったソマリアで、経済的な苦境に置かれた漁民たちが、手頃な一攫千金ビジネスに乗り出したのが事の始まり。本書ではそのことに心を痛めているプントランド人も個別に登場するが、氏族ないし社会全体としては海賊事件を止めるインセンティブはまったく働いていない。それどころか氏族の長老たちは「おいしい」海賊事件の交渉に忙しく、本来の氏族間の争いを収める時間も十分に取れていないのだという。

 首都モガディシオは、治安は最悪だが、多くの商店が栄える華やかな街。「カネと携帯なしでは戦争も略奪もできない」という理由から、地元の武将たちに一定のみかじめ料を納める代わり、多くの送金会社や携帯電話会社が栄えることになった。また電気や水道、学校や病院といったインフラは、たいてい地元の氏族によって経営されている「完全民営化社会」。バーレ政権崩壊以後の南部ソマリアの近代史は、内外の多くのアクターが入り乱れて分かりづらいことこの上ないのだが(たとえばウィキペディアの解説を読んでもさっぱり分からない)、登場人物それぞれに氏族の情報を付した上で「異なる氏族どうしの利権争い」という切り口で紐解く高野氏による説明は、とても分かりやすい。この国は、どこまでも「氏族」と「利権(カネ)」の力学によって動く、ユニークな国なのだと改めて実感させられる。2012年には21年ぶりに国際的に認められた大統領が正式に選出されたほか、間断ない掃討作戦の結果、南部ソマリアにおけるアル・シャバーブの活動領域も徐々に縮小しつつある。この地域の前途は文字通り課題山積だが、ソマリランドの「奇跡」を実際に目の当たりにした現在、何とかソマリア全体として平和な方向に前進し続けて行ってほしいと願うばかりである。

(2013年、本の雑誌社

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