Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ジェフリー・サックス 『地球全体を幸福にする経済学 過密化する世界とグローバル・ゴール』

 国連顧問のコロンビア大学教授であるサックス氏が、前著『貧困の終焉』からより一歩進んで、貧困のみならず環境、人口、そしてそれを可能にするグローバルな協調体制といった世界の問題について包括的な処方箋を示そうと試みた本。
 
 前著『貧困の終焉』で同氏は、貧困の罠に陥った途上国の歩みを前に進めるためには、その罠を脱するだけの十分な初期投資がドナーから提供される必要がある、と主張した。これはいわゆる「ビッグ・プッシュ論」であり、本書で詳しく紹介される国連の「ミレニアム・ビレッジ・プロジェクト」にも結実している。サックス氏は本書の中で、同プロジェクトが必要とする年間一人当たり60ドルの予算を、アフリカの農村部人口5億人ぶん配賦するようドナーに要請している(これは2005年のG8で合意された金額の範囲に収まる額とのこと)。

 サックス氏は本書で、この考え方を「市場重視の考え方を捨てる」として環境や人口といった他の分野の問題にも適用しているほか、反「ビッグ・プッシュ論」であるニューヨーク大学イースタリー教授に対し、強烈な反論を各所で加えている。例えば、イースタリー氏が著書の中で失敗した援助の個別論だけを取り上げ、日本の対東南アジア援助によるインフラがこの地域の経済発展の基礎となったこと、それ以外にも援助が農業生産性や感染症対策の分野で大きな成果を上げてきたことを指摘、また政府補助なしでも爆発的な売上を記録したローリングの小説を引いて医薬品の無償配布が人々のインセンティブを歪めるとする同氏の主張に対しても「ハリー・ポッターの読者は本を買う金をもっていたが、極貧の人々は命を救うための医薬品さえ買う手段をもたない」と一蹴している。

 同氏が本書のなかで、貧困、環境、人口の分野で提示する処方箋は、オーソドックスで、かつ網羅的なものだ。例えば気候変動については、代替エネルギーや炭素回収・貯留技術の研究開発を政府が支援する、市場には規制や経済的手段を通じてインセンティブを与える、併せて生じつつある気候変動の影響に適応するための策も講じるなどであり、それを支えるための世界主要国を始めとするグローバルな協力枠組みも必要であるとする。合意形成は難しいかもしれないが、オゾン層保護のための過去の世界の取り組みを引きつつ、楽観的に、かつ粘り強く前進しなければならない、と説く。もちろんそうした取り組みを成す上で主力としての役割が政府には期待されており、続いて企業やNGO、市民といった幅広いアクターが、こうした取り組みに関与していくことが求められる。サックス氏は必ずしも市場を全否定する立場にはなく、幾つかの施策には市場のインセンティブを用いることが有効だし、技術力や資本力をもつ企業が貧困や環境問題に与えうるプラスの可能性の大きさを認識してもいる。

 前著『貧困の終焉』でもそうだったが、本書を読んで感じるのは、人間と科学がもつ可能性を徹底的に信じようとするサックス氏の前向きな姿勢であり、また象牙の塔の中に留まろうとせず、貧困をはじめとした世界の問題で具体的な成果を上げようとする、実業家顔負けのアクティブな行動力である。21世紀の世界が抱える経済社会の主要課題は、概ね本書で示されたアジェンダに集約されている。2005年に『貧困の終焉』を読むときまでの当方のように、ときにその問題の大きさにたじろぐ向きもあろうが、同氏の楽観主義、行動力を見習って、各々が少しでも前に進むことができれば、人類はそのぶんだけ進歩した未来へと近づくことになる。世界の経済社会問題の全体像と、進むべき大まかな方向をざっくりと掴みたいと考える、特に若い世代の方々におすすめしたい本。

(原著:Jeffrey D. Sachs, "Common Wealth: Economics for a Crowded Planet" 2008.
 邦訳:野中 邦子 訳、2009年、早川書房

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