Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

オーギュスト・エスコフィエ 『エスコフィエ自伝 フランス料理の完成者』

 近代フランス料理を確立した名料理人、オーギュスト・エスコフィエ氏の自伝。

 19世紀から20世紀に至る激動のフランスにあって、今日のフランス料理の基礎を形作るさまざまなレシピを考案したほか、フランス料理の興隆につとめ、英国王や独皇帝からも愛された稀代のシェフ・エスコフィエ氏。本書に記されたその半生は、印象的な挿話に満ちており、ページを手繰っていて飽きることがない。

 たとえば同氏は、普仏戦争に士官の給仕長として従軍したが、当然の事ながら戦場では新鮮で豊富な食材の入手は期待出来ず、持参した保存食のほか、地元の農家から卵や野菜、水を分けてもらったり、ときには自分で兎を捕まえたりしながら、何とか最低限のカロリーと料理のバラエティを確保する。本書には、時々の食卓を彩った様々なエスコフィエのメニューが転記されていて興味深いのだが、このときの戦場の士官向けディナーの一例はこんな感じである:

 オイルサーディン、ソーセージ 
 殻付き半熟卵
 ミディアムに焼いたローストビーフ
 じゃがいものサラダ
 コーヒー、上質のブランデー

 このローストビーフは、パリから持ち込んだ生肉を、命令後すぐに供せるようにあらかじめ前夜、垣根の杭を引っこ抜いてキャンプファイヤー方式でローストしておいたもの。夜中に肉の焼けた匂いが漂い、中にはロースト肉を強奪しようとした兵も居たようで、彼らを追い払うのに苦心した旨が記されている。また他のメニューは、いずれも保存の効く調味後の食材、野菜でも長期保存可能なジャガイモ、戦場で現地調達出来るもの、のいずれかであり、こうした組み合わせは以後も戦場のエスコフィエが供する食卓の主役となっている。

 また英国のホテルに勤めていた時代に彼が考案した夕食のコースメニューのうち、本書で紹介されている一例は以下の通りである:
 
 グレープフルーツ、キルシュ酒風味
 スモークサーモン

 コンソメ、ロワイヤル風
 マッシュルームのクリーム、カレー風味

 舌平目のタンバル、カールトン風
 白魚、ディアブル風

 灰蒸し製法のプラハ産ハム
 きゅうり、パプリカ・ローズ風味

 若鶏のミニョネットのゼリー寄せ、アルザス
 えぞ雷鳥の串焼き、ブレッド・ソース添え
 サラダ、ラシェル風

 梨、モンモランシー風
 ナンシー産マカロン

 今でこそフランスのレストランで供されるメニューは、せいぜいアントレ1~2皿、メイン1皿、(チーズ、)デザート1皿、くらいで収まっていることが普通だが、この当時のメニューからは、当時のフランス料理のボリュームの多さ、また当時の人々の健啖家ぶりを窺い知ることができる。また、当時の経済水準から言えば多分にかなり豪奢なカテゴリーに入っていることは差し引くべきだろうが、現在のフランス料理のメニューと比べてもけっして遜色のない、豊富な素材とさまざまな調理方法が、当時既に確立されていたこともうかがえる。

 またエスコフィエ氏の同僚によれば、同氏は一流の料理人であったと同時に大変な人格者でもあったようで、本書からもそうした片鱗を読み取れるエピソードが幾つかある。英国のホテルに勤めていた当時、近隣の救済院の事業に関心を持ち、スープ用に胸肉を除いたうずらを沢山取っておき特別のピラフに仕立てて救済院の老人達に供したり、またときには院の馬の購入費用を用立てたりしていたという。また、第一次世界大戦中、戦争に動員された料理人が故郷に残した家族が困窮する中、これを援助する救済委員会を立ち上げ、多くの資金を分配したことは広く知られている。

 同氏が残した業績は多岐にわたるが、とくに著述面での業績は特筆に値する。1902年、過去の先人の業績を土台として、当時の最新レシピ5000以上を網羅した実用書『料理指針 le Guide culinaire』の発行は、そのなかでも象徴的なもの。今日では、たとえばロブション氏は著書の中で、『料理指針』のことを「しばしば時代遅れのことがあ」り、料理人の手許に置くべき本としては『グランゴワール・エ・ソルニエール』のほうを勧めているが、それでもフランス料理史の中で最も重要な文献のひとつであることは間違いない。当方は、半ばネタとしてフランス駐在時代にこの本を購入し、今も持っているが、たとえば冒頭のソースレシピだけでも大判にびっちり小文字で70ページ弱、全体では900ページと、エスコフィエ氏の仕事の大きさと重さを実感させられる、文字通り重量級の本である。
 
(原著:Augusute Escoffier "Auguste Escoffier Souvenirs inédits", 1985, Editions Jeanne LAffitte, Marseille.
 邦訳:大木 吉輔 訳、2005年、中公文庫)

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