Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

河辺 一郎 『国連と日本』

 国連問題と日本外交を研究してきた愛知大学の河辺氏による、主に国連での投票活動実績から、日本の国連外交を批判的に分析した新書。

 1994年発行という本書の発行時期を差し引いて捉える必要はあるが、河辺氏によれば、国連における日本の投票活動から見えてくるものは、米国の投票行動ときわめて近いそれであり、その米国追従姿勢によって、日本が国家の大義として掲げてきたはずの軍縮や人権、平和といった諸原則は二次的な地位に貶められてきたという。
 1957年発行の第1号外交青書で謳われた日本外交の三原則は、「国際連合中心」、「自由主義諸国との強調」および「アジアの一員としての立場の堅持」であったが、同原則の策定に携わった斎藤元外務参事官は、「国会でアメリカにちょっと寄った政策をとろうとすると、冒頭から『日本はアジア・アフリカ側じゃないか』と言って叩かれる。そこで、少し左に動いて、アジア・アフリカの立場をとりかかると、アメリカから文句がくる。まさに、そういう時代にあって、『それでは外交政策としてはどうしたらいいんだ』ということで、その二つの立場の真ん中で泳ぎ回るにはどうしたらいいかを考えたのです。それが国連中心主義なんです」と著書の中で回顧している。また1959年より国連局長を務めた鶴岡氏は「『国連中心、国連中心』と言うけれども、その意味は分からないのが実情でした・・・はっきりしなくても何でもかまいませんから、とにかく日本は自信をもって国連を育て、国連とともに歩いて行く。そういう方向に日本外交を向ければいいのだというのが、その当事の国連局の考え方でした」と述懐しており、そもそも「国連中心主義」といっても具体的にどのような分野でどのような立場を取るのか、政策担当者自身にとっても明確でなかったようである。
 実際のところ、河辺氏の調査をつうじて見えてくるのは、「軍縮問題などでは国連決議もアジアの動向も無視して日米関係が優先し、アジアの人権侵害などに対してはその一員として寛容を示し、自衛隊PKO参加などにかぎっては国連中心が主張され」てきた、戦後日本の外交姿勢である。たとえば軍縮問題については、1960年代から80年代にかけ、米国が反対する軍縮決議(米国の権益を弱めかねない南大西洋の平和協力地帯問題など)について、被爆国でありながら米国に配慮・追従する投票行動を取った。また人権についても、インドネシアミャンマーといった当時の抑圧的な政権に対する国連の非難決議に対し、経済的なつながりの深さから、これらを棚挙げしたり弱めたりする行動を取った。PKOについては、その費用分担率の高さから一貫して消極姿勢でありながら、湾岸戦争時に米国から軍人派遣の圧力がかけられた際には一転して自衛隊派遣に前向きとなり、「国連中心」を盾に国内世論の説得を図ることになった。
 以上の議論を締めくくる形で、国連改革ないし日本の安保理常任理事国化について、民主制が根付いていない小国の国民と対比した上で、民主制、かつ経済大国であり影響力を及ぼしうる日本の国民に対し、「(日本の)姿勢が変われば国連も変化する可能性も高い。そしてその日本の姿勢に最終的な責任を負うのは日本国民である。この意味で、現在の国連のあり方に問題があるとすれば、それに対する日本国民の責任も少なくないということができる」とその責任の大きさを強調し、国連に対するそもそもの考え方の変革を促している。

 戦後の日本外交を突き動かしてきた原動力や背景を、国連での投票活動傾向から見通そうとする河辺氏の手法は独特であり、また各章の論述も丁寧になされている。日本に留まらず、外交上の優先順位は必ずしも普遍ではなくその時々で戦略的に検討されるべきだし、また各所で妥協や取引といったメカニズムが働くことそれ自体は否定されるべきものでもない。とはいえ、戦後の日本外交が基本的に受動的ないし日和見主義的であり、かつ米追従の姿勢によって統括されてきたというのは、これまでも様々な人が言っているが、それを裏付ける国連での投票実績データを本書で見せられると、改めて考えさせられるものがある。
 国連改革ないし日本の安保理常任理事国化は、2013年の今でも外務省の主要政策の一つだが、結局のところ常任理事国化というのは、紛争解決、平和構築、軍縮、非核化、人権擁護、貧困撲滅、環境保護といった世界の主要問題に、文民・軍人のプレゼンス、資金的な貢献、そして何より国際的な場で知恵を出して行く努力を、各国に先んじてどれだけ主体的に積み重ねたか、その上で他国から実質的に評価されて、初めて可能性が見えてくるものと思っている。しかも、もしそれを成し得たとしても、現常任理事国を始めとした各国の権益調整という高いハードルがあり、現実を見ると道のりはきわめて困難である。それでもなお本当に常任理事国化を望むのであれば、アフガンやイラクなどでの復興支援、環境や災害予防といった分野でのイニシアチブなど、近年の日本が主体的に取り組み高い評価を得てきた実績を、今後はより恒常的に成していく、より一層の努力が求められると思う。
 河辺氏の言う「日本国民の責任の大きさ」のくだりは、明石氏緒方氏ら、世界の主要な問題や国連システムに関する国内での建設的な議論、それに基づいた積極的な貢献を、国連内部にいて望んでいた先達の人々の言とも一致する。外地に長く居すぎて論がやや飛びすぎている部分があるかもしれないが、一頃に比べて存在感が薄れたとはいえ世界3位の経済大国であり、西欧以外で初めて先進国となった歴史を有する日本と、そこに住む人々が持つ考えや意見は、おそらく日本の人々が考えている以上に、世界に対して大きな影響力を持ちうる可能性がある。もし現政権が、景気回復や財政・社会保障といった構造的な内政問題を片付けることが出来たなら、そのときは、短期的視野に立って排外的な方向に目を向けるよりも、世界の主要問題に各国の先陣を切って具体的な解決を提示していくことのほうにより大きな対外的価値を見出す、そうした精神を常に有する国を築いていってほしいと、切に願っている。

(1994年、岩波新書

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