Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

最上 敏樹 『人道的介入 正義の武力行使はあるか』

 国際法と国際機構論を専門とする最上氏が、人道的理由をもって個別国家が武力行使を行う「人道的介入」について、過去の経緯や、現状の論点についてまとめた新書。
 
 個別国家が人道上の理由によって独断で(当事国の同意なしに)他国に軍事介入した事例は、その理由の是非はどうあれ過去に数多く見られ、その事実からすればやや意外ではあるが、最上氏によれば、合法な武力行使は、(1)自衛権の行使、(2)国連自身の軍事行動(強制行動)、(3)安保理により許可された国々の武力行使、のいずれかに限られる。すなわち現状の国際法に照らすと、過去の多くの人道的介入は「違法」のカテゴリーに位置づけられるという。端的な事例である1999年のNATO軍によるユーゴ空爆は、とられた手段(民間人を巻き込みかねない高空からの空爆)、それを取った手続き(安保理のバイパス)、得られた成果(結果として現地における迫害の連鎖を招いた)、のいずれをとっても「疑問の残る行動」であった。
 全体として、最上氏は、「人道的介入」の安易な解釈や適用を戒める、きわめて慎重なスタンスに立っている。同氏は、過去の判断が「むずかしい事例」、すなわち1971年のパキスタンへのインドの介入、1978年のカンボジアへのベトナムの介入、1979年のウガンダへのタンザニアの介入についても、例えばカンボジアのように当事国の民衆がそれを望んでいた点については考慮の余地があるものの、全体としては介入国の恣意的な利害の発露が少なからず見られることを指摘する。
 ただし当事国で人道的な問題が見られている以上、個別国家による独断介入は慎重になされるべきといっても、国際社会ないし国連としては何らかの行動を起こさざるを得ず、この点に人道的介入の問題の難しさがある。国連自身も、過去にPKOの枠組みの中で様々な行動を試みてきたが、1992年以降のソマリアへの「過剰な」介入の失敗、1994年ルワンダへの「過小」な介入の失敗、そしてPKOを遂行している最中の1995年に起きたスレブレニッツァでの虐殺など、多くの課題を後世に残すに至った。これはそもそも国連がもつ「中立性」や「非暴力性」じたいに一定の疑義をもたらした。ただここでもなお最上氏は、1999年のNATO軍による空爆の直接のきっかけとなった同年のコソヴォ自治州ラチャク村での虐殺が、かなり「政治的に」利用された可能性を指摘、読者に戒めを与えている。
 最上氏は、人道的介入の問題の範疇を個別国家による武力行使のみに留まらせず、「何より大切なのが人々を迫害から守る事であり、その人々に救援物資が届く事であると考え、それを実効的に行う方策を考えるのが、『人道的介入』の政策課題なのではあるまいか」とのべ、「犠牲者へのアクセス権」という考え方を掲げる。加害者への攻撃ではなく、救援活動と救援物資を守るための武器使用については、一定の容認を与えるという立場である。加害者への攻撃については、「それは現に虐殺が起き(ようとし)ており、かつ、加害者に攻撃を加える以外に手段がない場合に限られる。それも国々が勝手な判断でおこなうのではなく、国連のような世界的機関の集団的な判断に基づく、集団的な措置でなければならない」とする。そして、ひいては武力行使に追い込まれる前の、当該国における事態の改善、すなわち「極度の栄養不良や早すぎる死に襲われる子供たちや大人たちを救うために、武力介入以前の介入を積極的におこなう」ことの重要性を強調している。

 個別国家による独断での軍事行動(狭義の人道的介入)を認めるべきか否か。過去多くの事例において紛糾してきたように、実際には当事国や介入国の利害が入り乱れる事が多く、人道の名の下に単独軍事行動を正当化することは、かなりの困難が付きまとうの確かである。そうであればこそ、最上氏の言うように、「犠牲者へのアクセス」に焦点を当て、合法なPKOの枠組みや人道援助機関との恊働といった形で実質的な貢献の実績を積み重ねて行く考え方は、まさに理想型であるようにも思える。
 しかしそれでもなお、人道上の危機が続いているにもかかわらず、PKO含め国連安保理のメカニズムが作動しない場合にどうするのか、という疑問は完全には払拭されないようにも思う。例えば現在のシリア内戦は既に2年が経過し、民間人の死者数も8万人近くに上るとされるが、現在のアサド政権がきわめて強硬な姿勢を続け、かつ安保理常任理事国である中露がそのバックアップを続ける限り、安保理を通じたいかなる抜本的対応も困難なままである。イスラム過激派を含む反乱軍の側にも問題は皆無と言いがたいうえ、そもそも安易な介入は両者のいずれかを恣意的に利する可能性が極めて高い(カダフィ政権の転覆が、マリの危機の一因となった事は記憶に新しい)。しかしながら人道上の危機が継続しているのは事実であり、対処療法的な人道支援の実施もさることながら、危機の根本たる内戦じたいの集結に向け、第三国の軍事介入を含めた抜本的なオプションも(たとえ国連安保理の枠組みの外であっても)検討されてしかるべき、と個人的には考えている。

(2001年、岩波新書


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