Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

レヴェリアン・ルラングァ 『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』

 1994年のルワンダのジェノサイドで、家族全員を殺され、自身も瀕死の重傷を負って生き延びた青年による、自身の半生を描いた手記。

 ルラングァ氏は、首都キガリの南方・ムギナの丘で生まれ育ち、15歳の時にジェノサイドに遭遇した。家族親戚とともに小屋の中に立て篭るも、家族43人は民兵と近所のフツ市民に自らの目の前で虐殺され、自身は片腕と片目を失う重傷を負うも、何とか生き延びる。その後赤十字によって介抱され、保護団体の手で難民としてスイスに渡り、自らの喪失感と憤怒を本著で綴る事になる。

 本書では、何よりもまず、その戦慄すべきジェノサイドの描写に圧倒される。それまで対立する事なく暮らしていたフツ族の隣人が、ナタや鎌を持って襲いかかり、嬉々としてルラングァ氏と彼の家族を切り裂いて行く様に、ただただ背筋が凍る。
 本書の後半は、スイスに渡って以後、虐殺者達を赦せるかどうか、心の平穏を取り戻せるかどうか、ルラングァ氏と養父との対話、そして自身の内にある神との対話の記録に当てられている。赦しの大切さを説く養父の言葉に対し、「私の心の奥深くにある見知らぬ場所に触れるようだった。そこは清らかな涙や喜びに飢えていた」ことを告白するものの、それでも尚ルラングァ氏は虐殺者たちを赦すことができない:「(聖トマス・アクィナスの)三段論法は今見ても非の打ち所がない。『神をという言葉が語られるとき、それは限りない善として理解される。それゆえ、神が存在するのなら悪はもはや存在しない。ところがこの世に悪はある。それゆえ神は存在しない。』聖トマスはこれに対しさらに反論を試みているが、私はその反論に満足出来なかった。私にとってはこの三段論法が示す結論で終わりだ」と述べる。ジェノサイドの最中に、神からの慈悲がなんらツチ族にもたらされなかったことで、ルラングァ氏は「私の心の中では、あなた(神)はもう死んでいる」と、本書の中では結論する。

 ジェノサイドの惨禍の中で、家族が虐殺される様を目の当たりにし、自らも傷つけられ、天涯孤独となり、物理的な復讐の手段を奪われたウラングァ氏が抱える傷は、まさに想像を絶するものである。氏に平穏のときが訪れるのを心から願う一方、どんなに外部の助けがあったとしても、最後のところで整理を付けられるとすれば、それは究極的には氏自身の手によるほかないだろう、とも思う。
 実際のところ彼の立場では、ルワンダでの「相応の」法の裁きを彼の殺人者達に期待することは難しく、ここにルワンダのジェノサイドが本当の意味でなかなか「清算」されえないという、悩ましい現状が垣間見える。とある識者は、「ルワンダのジェノサイドは3世代程度の時間が流れないと、真の意味での民族対立解消には至らない」という主旨の発言をしていたが、残念ながら、一定の首肯をせざるを得ないとも感じている。

(原著:Révérien Rurangwa, "Génocidé", 2006, Press de la Renaissance, Paris.
 邦訳:山田 美明 訳、普遊舎、2006年)


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