Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ロメオ・ダレール 『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』

 1994年のジェノサイド当時にルワンダに駐留していたPKOの司令官・ダレール氏による当時の詳細な回顧録

 当時の国連とPKOルワンダのジェノサイドへの対応については、関係者の間では否定的な見方がもはや定説となっている。当時ホテル・ミル・コリンの支配人だったルセサバギナ氏は、著書の中で、ダレール氏個人は好きだと前置きしながらも、「私としては、ダレールは殺人者と犠牲者の間に部下を配置するようもっと努力すべきだったと思わざるを得ない」「私の考えでは、ジェノサイドの帰還中の国連はただの役立たずではなかった。役立たずよりなお悪かった。・・・国連軍が駐留していたせいで、なんらかの有効な対応がとられているものと世界が思い込むことになったのだから」と述べている。では実際に、その当事者は、ジェノサイドの渦中で、実際にどのような考えを持ち、どのような行動を取ったのだろうか。本書は、きわめて詳細な記録でもって、その答えを示している。
  
 少なくともダレール氏個人は、駐留していた国で行われた虐殺について、全く無感であった訳ではない。あくまで自らの能力と権限が及ぶ範囲においてだったが、ニューヨークの司令本部に随時状況を報告、指令変更や兵力増強など、悪化する情勢への対応を意見具申し続けていた。しかしそれに応ずる声はなく、氏の当時の苦悩ぶりは、本書の中でも随所に表れる:「国連に対して、あるいは私に個人的にでさえ、正確で最新の情報をすすんで提供してくれる国は一つとしてなかった」「私はルールを無視し、官僚主義を廃し、規則を曲げ、私たちの最初の道標を達成するためにしなければならないことは非合法な活動は別として何でもすることにした」「ジャン・ピエール(旧政府の情報提供者)の情報に従って行動するようニューヨークを説得する事に失敗した事に、いまだに私は思い悩んでいる」「私がとったあらゆる決定において、私は、医療上のセーフティネットもなく(医薬品は限られ、国外搬送手段もない)、弾丸も不足しているという事実と、作戦を実施するリスクを秤にかけなければならなかった」「ニューヨークにはリーダーシップが欠如していた。私たちは洪水のように書類を送り、何の返信も受け取らなかった。補給も、増強も、決定もなかった」「PKO局、安全保障理事会、事務総長のオフィス、世界中の人々の心と魂の奥底にまで、この惨状を理解させる事ができないのは、自分の能力のなさだと思えた。そのことに私は絶望と苛立ちを感じた。」
 しかし、職業人としての彼は、かようにどうしようもない状況であっても、自らのマンデートを全うしようと決意していた:「ここに留まり、助けることは道徳的義務である。たとえ私たちの行動がたいした影響を与えなくても。」厳しい自然環境と厳格な家庭の中で育ち、軍人としてまっすぐにキャリアを全うしてきた堅実なカナダ人らしい、愚直なまでの答えであった。しかし時の政治情勢は、明らかに彼ひとりが持つ能力や権限によってどうにかできる範囲を、とうに超えていた:「ルワンダから本国に帰還した後、そして年月が経つにつれ、徐々にフランス、ベルギー、合衆国、RPF、RGFその他によってどれほど狡猾な策謀がめぐらされたかが明らかになった。私たちは、政治家達が世界は殺戮を食い止めるために何事かをおこなったと言うためのある種の言い訳であり、スケープゴートですらあった、そう私は感じざるを得なかった。」

 彼の立場では、本当にジェノサイドを止める事は出来なかったのか。確かに武器弾薬も十分でない三個中隊程度の戦力では、全ての虐殺現場を阻止する事は不可能であったろう。ただ少なくとも被害は拡大出来たのではないか? しかし、批判を承知で、ダレール氏個人の視点に立てば、こういう見方もできる。無辜のツチ族保護のため、RGFや民兵への発砲を、独断で部下に命じたとしよう。先方としては、国連軍を明確に攻撃する大義名分が得られる。外部からの支援や正確な情報をほぼ断たれた状態で、彼らからの攻撃を食い止める事ができるか。しかも当時のRGFはルワンダ国の正規軍だった。国連の正式な指令(法的な行動根拠)がない中で、部下を死なせてしまった場合、その本人や遺族に対してはどのような償いができるのか。
 ジェノサイドを完遂させてしまった背景として、彼個人の能力も含めて様々な要素が考えられるが、個人的には結局のところ、当時のアメリカとフランス、そしてベルギーの姿勢が、最後は物を言ったように思う。アメリカは、直前のソマリアでの失敗を経て、最後までルワンダへの介入を意図的に避け続け(加えてダレール氏は、米国とRPFとの深い関係を本書で指摘、米国のPKO軍戦力増強への反対姿勢との関連性についても仄めかしている)、フランスは仏語圏の盟主として旧政府・RGFに対する間接的な支援を継続、ベルギーは旧政府の目論み通り自国兵の人的被害を契機として、早々に自国軍を撤退させた。とくに不自然なまでと思えるアメリカの不介入姿勢が、国連と安保理の足を縛り、ジェノサイドがほぼ完璧なまでに遂行されるための時間を稼がせる事になった。

 ルワンダのジェノサイドは、関係者個人の能力の域を超えて、現在の世界統治のシステムそのものの限界を、明確に指し示したように思う。とくに国連安保理は、先の大戦戦勝国である5大国の政治的意図を超越して存在することは叶わない。昨今のシリア内戦のように、5大国の政治的利害が異なる場合には、国連として何ら決定的な介入を実現することができない。ルワンダの場合には、とくにアメリカがその道を阻み、フランスによる単独の恣意的な介入(ターコイズ作戦)のみが、しかもジェノサイドの後に実現した。国連システムの改革を訴える研究や書物は星の数ほどあるが、全てのプロセスは結局のところ現在の5大国、特に軍事経済ともに依然最強国家であるアメリカの利害を抜きにして、抜本的な改革はありようもない。
 また、なぜアメリカが一見不自然とも思えるほどにルワンダのジェノサイドに対して不介入の姿勢を貫いたのかを見て行くと、もう一つ大きな教訓が浮かび上がる。その理由として定説となっているのは、前年のソマリアでの失敗が尾を引き、当時の米国世論が、なぜ自国民の命を賭してまで自国の利害の薄い僻地に軍事介入するのか、大いに懐疑的になっていたから、とするものである。この定説に従うならば、これは自衛隊の海外派遣拡大を議論するときにも一つの論点になりそうだが、一つには、グローバル化時代にあって世界の平和のために大国として果たすべき責任がある、その結果生じうる殉職者と遺族に対しては国として最大限の誠意と敬意をもって報いる、という2点を派遣国の指導者が自国民に対して説得しうるかどうか、が鍵になりそうである。確かに、自国の安全がかかっている大戦期や冷戦期ならともかく、遠い異国の地の人々のために自らや家族の命を賭ける事ができるか、という問いは重たいものである。しかし結局のところ、こうした意識がどれだけ多くの人々に共有されるかどうかが、今後ルワンダのような過ちを世界で二度と犯さないようにする上での一番重要な点ではないかと、最近では考えるようになってきている。

 最後に、興味深い事に本書は、カガメ現ルワンダ大統領が当時ジェノサイドの中で担った役割ないし責任についても、明快に示唆している。本書は今でもキガリ市内の本屋の店頭で平積み販売されているが、これらのやや過激な記述ゆえに発禁処分になったりしないのか、少し心配したりしている:「私はこれまで、完全な指令を与えられたUNAMIR2よりもターコイズ作戦を受け入れるほうがなぜカガメにとってはましだったのかを考える事に、長い時間を費やしてきた――カガメは全土の制圧を望んでいたのであり、一部が欲しかったのではなかった。彼は自分が完全に勝利するまでは事態を安定化させたくなかったのだ」「ルワンダ人の死の責任は、軍事の天才ポール・カガメに帰することもできる。彼は、ジェノサイドの規模が明らかになっても作戦のスピードを上げなかった。また、彼の同胞であるツチ族大義のための代償を払わなくてはならないと、いくつかの時点で私にあからさまに話したことさえある。」
 
(原著:Roméo Dallaire, "Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda" 2003.
 邦訳:金田 耕一 訳、風行社、2012年)


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