Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

M・バーロウ、T・クラーク 『「水」戦争の世紀』

 カナダの環境活動家が、世界の水問題の現状と水道事業民営化の課題についてまとめた本。日本語番は、原著を新書形式に妙訳したものだが、この分野の概要を知る上で最低限のデータや事実が網羅されている。
 
 著者らは、「水はニーズではなく人権」と言い切る。水は個人の利権として商品化しうるべきものではなく、あくまで公共財として公的に管理されねばならない、という彼らのスタンスは明快である。政府部門の財政難を背景として、水道事業の民営化は今も世界のトレンドとなっているが、電気などと違い数日欠けただけで人間の生死に直結する水は、純粋に市場のみに管理を委ねれば良いという類の財ではない。水道事業民営化に伴う弊害の端的な例としては、ボリビアコチャバンバ市の活動家による告発「月収が100ドルくらいしかない家庭の1か月の水道料が20ドルに跳ね上がった――食費より高い」が本書のなかで紹介されている。民間事業者はが収支黒字化ないし利益追求の観点から費用を消費者に転嫁するのは常であるが、その負担をカバーできない貧困層に対しては救済措置が必要であり、まさにここに公的部門による介入の必要性が認められる。やや突飛ではあるが、古代ローマでも保健や教育が民間部門の業務と整理される一方、食糧供給や道路網の整備と並んで水の供給が公的部門の役割と整理されていたことも思い起こされる(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/37050020.html
)。

 他方、官または民の役割分担の議論が白黒100%の世界で区切ることが出来ないように、国や自治体によっては民間部門が多くを担うことで上手く行く事例も中にはあるだろう。民営化の是非というのは誤解を恐れずに言えばあくまで方法論であり、リーズナブルな価格で良質な水が供給されることが、人々にとっては何より重要である。ただポイントはどれだけ公の側に民をグリップできるだけのキャパがあるかであり、人材の育っていない後発途上国でも画一的に民営化を推進するなど、(本書でも批判されているように)世銀やIMFはこの点で一時やや行き過ぎた面があった。今後はこうした画一的な方針によらず、個々のケースが持つ様々な前提条件に応じて柔軟に給水事業の設計を行う姿勢が、各国政府や開発機関にとっては不可欠である。

(邦訳:鈴木 主税 訳 、2003年、集英社新書
 原著:Maude Barlow & Tony Clarke "BLUE GOLD" Stoddart Publishng, Tronto. 2002.)

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