Foomin Paradise (読書ブログ)

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ポール・ルセサバギナ 『ホテル・ルワンダの男』

 映画「ホテル・ルワンダ」で有名な、ミル・コリン・ホテル(Hôtel des milles collines)のジェノサイド当時の支配人、ポール・ルセサバギナ氏が、ジェノサイド当時の当時の様子を綴った自叙伝。

 映画の方は、わずか2時間ということもあり細部が端折られがちであり、かつハリウッド映画ならではの脚色も結構ある。こちらのほうは、1994年の当時に起こった事実を淡々と述べるほか、ルセサバギナ氏の行動が仔細に綴られており、情報としては密度が濃い。ジェノサイドに至る通史や著者自身の生い立ちについても触れられており、なぜジェノサイドが起こったのか、なぜ同氏が想像を絶する苦境を乗り越えられたのか、読者が考えるだけの十分な手がかりが与えられている。過酷な経験と思索に裏付けられた同氏の言葉は、箇所によっては、単なるジェノサイドの証言の域を超えて、哲学的な意味合いをも含んでいる。

 ルセサバギナ氏は、「ホテルの1268人の命を救ったのは言葉だけだと確信している。・・・ジェノサイドの最中に、私は言葉を様々な方法で使い分けた――請願したり、脅かしたり、なだめたり、おだてたり、交渉したりと。必要とあらば、適当なことを行ったり、はぐらかしたりもした。卑劣な人間と親しげにふるまいもした。彼らの車のトランクにシャンパンの箱を積んだりもした。恥も外聞も捨てて彼らに媚びへつらった。ホテルの人々の命を救うのに必要と思えば、どんなことでも口にした。ただひとつのシンプルなゴールを目指すことに集中して、主義もイデオロギーも捨てた」と回顧する。しかし同氏自身が後になって「当惑した」と述べているように、当時のルワンダではあまりに多くの一般のフツ族が虐殺に加担した。当時のルワンダでは「(ツチを)殺すか、あるいは(穏健派フツとして)死を選ぶか」(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/32675149.html
)という権力側からのプレッシャーが、絶えず存在していた。ルセサバギナ氏はジェノサイド勃発から3日後の4月9日、フツ過激派に呼び出され、家族や隣人32名を伴って移動した際、死体が積まれた検問所で、彼らをライフルで撃ち殺すよう兵士から命じられる。「私はあることに気づいた。この男は私の目を見ようとしない。・・・やるべきことはただひとつ、適切な返答を探すことだった。いまやすべては私の返事にかかっていた。」同氏は、まず兵士の良心に訴えかけ、次いで金で買収する手に出る。「ツチの隣人を殺すか、さもなくば自分が死ぬか」という究極の選択を突きつけられ、その極限の状況でなお相手を懐柔しようとするだけの自信と勇気を持てるか。「もしこれが自分だったら」と考えずにはいられなかった。同氏の場合は、「私にはテーブルを挟んで一緒にコニャックを楽しめない相手はほとんどいない」と言うほど、他者と通じ合える部分を探し出す能力に長けている、という自信があった。ツチ族の妻を持ち、またルワンダ随一のホテルの支配人としてこの国の上流階級の人々と日々付き合ってきたという自覚もあった。結果としてこのとき彼は、巧みな交渉術を用いて、ホテルに残っていた100万フランの現金と引き換えに、自らの家族・隣人32名の命を救うことができた。しかしこれは、歴史上常に強大な権力に上から支配され、また当時RPFが現実に侵攻してきていた時期に数少ないメディアを通じて煽動されていたこの国の人々にとって、必ずしも同様に取りうる選択肢ではなかったろうと思う。

 ホテル・ミル・コリンに立てこもって以降も、同氏は、この国の重要な人脈の情報を逐一記した「秘密のバインダー」と、唯一切断されずに残ったFAX用の電話回線を用いて、軍隊や民兵によって避難民に被害が出ないよう、あらゆるコネを総動員して手を尽くした。実際に彼らの処刑命令を受けた軍人が派遣されてきても、まずビールやコニャックを勧め、何時間もテーブルで時間を引き延ばし、最終的にそのまま引き取らせることに成功した。「残忍さと恐ろしいまでの正常さは背中合わせにある。・・・私が相手の中に見出そうとしていたのは穏和な部分だった。ひとたびそこに手を触れることができれば、あとはこっちのものだった。」「(襲撃者の大佐は)自分の置かれた立場に自身がない一方で、自らを重要人物だと感じたいという欲求をもっていた。私は大佐の欲求を満たし、トーマスが殺されないよう、選び抜いた言葉の網を作り上げた。そんな野暮な仕事は大佐がすることではないと彼に信じ込ませようとした。そして彼はそれを信じた。」のちにジャーナリストのゴーレイヴィッチが書いているように(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/32720119.html
)、「ポールは彼らを救わなかったし、ポールには彼らを救えなかった――究極的には。武器としては酒倉、電話線、国際的に有名なアドレス、それに抵抗精神しかない中で、ポールは誰かに救われるまでの時間を稼いでいた」だけに過ぎない。それでも、3ヶ月で100万人近くが虐殺される中、虐殺側勢力のど真ん中に拠点を構えながらも避難民を無傷のまま守りきったという事実の大きさは計り知れない。同じくゴーレイヴィッチは、「(6月18日)ポールと家族はUNAMIRの輸送車でRPF(ツチ反乱軍)支配地域に向かった。ポールは自分でできることをやった。だがもしRPFがフツ至上主義政権に谷の反対側から圧力をかけていなかったら、輸送隊自体が存在せず――そしておそらく、生存者はいなかったろう」と書いているが、これはまさに事実その通りであり、それほど彼らは死と限りなく近い環境にあった。

 ルセサバギナ氏によれば、過去世界で起こったジェノサイドには、共通点があるという。「ジェノサイドは戦争にまぎれて勃発する。ジェノサイドは更なる権力を求める自信のない指導者の頭脳の産物である。政府は国民をジェノサイドの方向へと徐々に操る。他の国々は目をそらすよう仕向けられる。そしてすべてのジェノサイドには、平凡な人々を殺人者に仕立ててしまう集団の力が存在する。」最後の点は、同氏が考えるもっとも重要な要素であり、「人間には生まれついての強い群居本能があり、そのために理性ある人々がともすれば理解しがたい行動に出ることがある。・・・1993年の冬に難民キャンプのティーンエイジャーの若者たちがインテラハムウェを組織したことは、少しも驚くべきことではない。集団に加わると、何か魔法のようなことが起こるものだ。・・・集団の目的のために、我を忘れて没頭すると、大きな充足感が得られる。私たちは心底では孤独を感じているものであり、より大きな存在の中に溶け込んでいるという感覚を喜んで受け入れるのだ。・・・集団からはずれ、”ノー”と言う内なる強さを見出せなければ、個人の対面を守ろうとする人々によって集団は容易に残虐行為を成し遂げてしまうのだ」。同氏は、ジェノサイドの経験と、以降のルワンダの動向を振り返って、楽観的な立場にまったく立っていない。ジェノサイドを裁く司法制度の欠陥(ルワンダ政府は、伝統的な村落部の紛争和解制度「ガチャチャ」を動員したが、同氏は「レイプし、拷問し、人を殺した相手とどうすれば”和解”などできようか?」と疑問を呈している)、本当の意味での勢力間対話の欠如、現行政府の独裁傾向、ツチエリートによる権益の寡占といった要素を挙げ、「『二度と繰り返さない(ニャマタの虐殺記念館に刻まれた標語)』と口にするのは、この国にはまだ早すぎると思う」と指摘する。

 じつはつい先日、本書の舞台となったミル・コリン・ホテルに実際に行ってみた。思ったよりもこじんまりしたホテルで、プールサイドも清潔で、18年前に1000人以上の避難民で溢れかえり、まさに眼前のプールから彼らの飲料水が供されていたかと思うと、とても信じられなかった。ルセサバギナ氏は、次に悪の意思の流れが押し寄せたときに平静とモラルをもって「ノー」と言える個人が居ることを願いつつ本書を締めくくるが、ルワンダ人としてジェノサイドを中から見つめ、人の中に備わる悪と真っ向から対峙し、毅然と立ち向かった同氏の言葉は、ジェノサイドを生き延びたルワンダ人を含め、全ての人々に途方もなく重たい問いを投げかけるものである。プールサイドから眺めるキガリの丘と空は美しかったが、そんなことを考えながら、心の中は少々晴れなかった。

(邦訳:堀川 志野舞 訳。2009年、ヴィレッジブックス
 原著:Paul Rusesabagina "An Ordinary Man." 2006.)

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