Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

塩野 七生 『ローマ人の物語 I~V』

 作家・塩野氏による古代ローマの通史『ローマ人の物語』。学生のときに途中まで読んで挫折していたものを、ちまちま読み続けてようやく読破。単行本で全15巻とさすがに大著なので、建国から帝政移行までのI~V巻、帝政下で世界国家を実現したVI~X巻、その衰亡史にあたるXI~XV巻までの3回に分けて投稿したい。

 第I巻『ローマは一日にして成らず』は、紀元前753年のロムルスによるローマ建国からイタリア統一までの以降約500年間を描く。塩野氏は早くも同巻の巻末で、ローマが千年以上の永きにわたって栄えた理由を書いている:「ローマ人の真のアイデンティティを求めるとすれば、・・・開放性ではなかったか。」たとえば彼らの宗教は多神教であり、必ずしも他の宗教を排せず(後のユダヤ教キリスト教を例外として)、全体として寛容的であった。カエサルガリア戦役に象徴的に見られるように、被征服者に対して大幅な自治を認め、一定の条件を満たした者にはローマ市民権をも付与した。初期に執政官制度(王政)、元老院制度(貴族政)、市民集会(民主政)を並存させる、特定の利益集団に偏らない独自の政治システムを作り上げたほか、帝政期にあっても皇帝はあくまで元老院と市民によって授権される、オリエントの絶対君主とは異なるユニークなタイプの権威であり続けた。特定の宗教や民族、政体に固執しない、こうした柔軟かつ開放的なローマ人の性格は、一時代を築いた歴史上の他の諸民族、そして現代の先進諸国のそれと比べてみても、稀有である。
 この点について、塩野氏は面白い表現をしている:「人間の道徳倫理や行為の正し手を引き受けてくれる型の宗教をもたない場合、野獣に堕ちたくなければ、個人にしろ国家という共同体にしろ、自浄システムをもたなければならない。ローマ人にとってのそれは、家父長権の大変に強かった家庭であり、そしてこれこそローマ人の創造であることではどんなローマ嫌いでも認めざるをえない、法律であったのだ。・・・法は、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮できる。いや、共有しない人との間だからこそ必要なのだ。」「人間の行動原則の正し手を、宗教に求めたユダヤ人、哲学に求めたギリシア人、法律に求めたローマ人。この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かび上がってくるぐらいである。」

 第II巻『ハンニバル戦記』は、紀元前264年から同146年まで続いた三次にわたる対カルタゴのポエニ戦役を描く。全編を通じて、現代の戦術の教科書でも紹介されているという歴史上有名な包囲殲滅戦・カンネーの戦い、そしてその戦術をローマがそのままやり返したザマの会戦など、両軍の配置・戦闘経緯の図示もあって、まさに息を呑む描写となっている。ハンニバルはその戦術を、一世紀前に生きたアレクサンダー大王から学んだという。そのひとつが、「歩兵は歩兵同士、騎兵は騎兵同士で闘う」という従来の定法を覆し、「戦闘とは、激動の状態である。ゆえに、戦場でのすべての行為は、、激動的になさればならない」として、騎兵を歩兵(あるいはその逆)にぶつける、というもの。ハンニバルカンネーの戦いで、布陣の両翼に強力なヌミディア(現在のアルジェリア)とガリア(現在のフランス)・スペインの騎兵を配し、ローマ騎兵を破った後に直ちに本陣に戻らせ、ローマが誇る重装歩兵団の四辺を封じることに成功した。何万もの人間が死んでいるのだからやや不謹慎ではあるが、見事なまでに鮮やかな戦術である。

 第III巻『勝者の混迷』は、ポエニ戦役の終結から紀元前60年代の地中海地域での覇権確立までの約一世紀を描く。「ポエニ戦役での勝利が、勝者ローマ人を、精神的な鎖国主義に変えたのだ」とされる閉塞的な空気のなか、マリウスやスッラなど個性的な指導者が次々に新たな政策を試みるのだが、なかでも農地改革を推し進めたグラックス兄弟の先見性に目を引かれた。長い戦役の後に疲弊した中小農民を救うため、大土地所有の制限や失業者への農地借用、貧民への小麦支給といった政策を次々に打ち出してゆくが、彼らの政治的基盤が磐石ではなかったため、既得権益を侵されたと感じた元老院によって兄弟とも簡単に殺されてしまう。同兄弟の思想の実現には、卓越した政治手腕をもったユリウス・カエサルが執政官として「ユリウス農地法」を提出するまで、約70年の時間を待たねばならなかった。

 第IV巻と第V巻『ユリウス・カエサル』は、カエサルの生涯を中心に、紀元前31年のアクティウムの海戦まで、熾烈な内乱の時代を克明に描写する。カエサルは、ガリア戦役をはじめ指揮した戦闘すべてに勝利したほか、拡大した版図を治める必要から従来の共和政に替えて帝政の設計図を描き、政治制度、行財政、土地、通貨、司法、社会福祉、暦、首都再開発、その他公共事業と内政においてもありとあらゆる改革を成し遂げた。この時期にカエサルという天才を持たなければ、ゲルマンや東方諸国の侵攻、属州の反乱、あるいは共和政じたいの経年劣化によって、ローマは紀元0年を迎える前に滅びていたかもしれない、とさえ思わせる。指導者の資質を論じる際にはいつも辛口の塩野氏も、彼には最大級の賛辞を贈っている(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/22819838.html?type=folderlist
)。
 彼の個々の功績については今更ここで改めて詳述するまでもないが、本書を読んで改めて感じ入ったのは、彼の卓越した人間心理への洞察力、俗っぽく言えばコミュニケーション力の凄さである。かのルビコン川を渡る直前、同胞に対して剣を奮うことになる自軍の兵士に対し、最高司令官である自らの「名誉と尊厳」を守ってくれるよう訴える。困難な戦闘を前にして、あえてカエサル個人にフォーカスすることで兵士を鼓舞するのだが、これは「この人に命を預けられる」と思わせる程の人望を集めているからこそ言えるロジックである。どんな仕事でもそうだが、理性だけでは人は動かない。信頼や忠誠といった感情面の納得があってこそ、大事をなしえる。第V巻では、北アフリカ戦役に先駆けて給与値上げを求め、退役も辞さずとした精鋭の第十軍団の兵士に対し、カエサルが一言「退役を許す」と述べ、カエサル軍の精鋭としての彼らの自尊心を揺さぶり、結果として「第十軍団の(自主的な)参戦を、ボーナスもベース・アップもなしで勝ち取った」エピソードも紹介されている。
 また、金と異性の問題はいつの世の権力者にもつきまとうが、この2点に対する対処からもカエサルの非凡さが見て取れる。カエサルは、一説には元老院の三分の一が妻を寝取られたと言われるほど多くの女性と関係を持ったらしいが、その誰一人からも恨みを買わなかった。塩野氏の分析によれば、「女が何よりも傷づくのは、男に無下にされた場合であ」り、この点彼は、莫大な借金を抱えてまで愛人を喜ばせるための贈り物を欠かさず、愛人の存在を公に隠さず、関係が切れた後も無視することなく事ある毎に気遣い続けていた、という。金のほうは、読書やお洒落、愛人への贈り物、友人・知人との友好、加えて公共事業や選挙運動といった大盤振る舞いによって借金が天文学的な数字にまで膨れ上がったが、その最大の債権者であった当時随一の資産家(であり政治家・軍人)クラッススは「不良債権として忘れ去るには、あまりにも多額すぎる」債権のため、債権が消滅しないようカエサルの出世を手助けせざるを得なかった、と言う。時代は違うが、「Too big to fail」として政府に多額の公的資金を投じさせた、リーマンショック時の大手米銀の処世術を思わず連想させる。

(新潮社、1992~1996年)

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