Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

山際 素男 『破天 インド仏教徒の頂点に立つ日本人』

 全インド仏教徒の指導者として、不可触民解放と仏教復興に尽力する日本人・佐々井秀嶺氏の半生を綴った伝記。
 当方はインドや仏教の方面についてとんと疎いこともあって、先日インドフリークの同僚から本書の存在を教えてもらって初めて佐々井氏の存在を知った。先日なぜかモン・サン・ミッシェル見学に行くバスの中で読んだのだが、佐々井氏のあまりに波乱万丈な生涯、活動の激烈さに、行きの道中、ページをめくる手が止まらなかったのを覚えている。

 佐々井氏は1935年に岡山県北部の山村で産まれる。が、物心ついたころから人一倍好色が強く、小学校の同級生や先生、親戚の女の子に次々手を出していた、という。この付いて離れぬ煩悩が、直情型の気性と相俟って、佐々井氏を仏門に向かわせることになる。仏門といっても、その道の学問を究めるというよりは、とかく実践型の荒行である。思いつめて飛騨高山に行き、山頂の石で自ら頭を割り、無我の境地に達する。高尾山の師匠の推薦でタイに留学、そこでの女性関係のもつれから、逃げるようにインドへ。菩薩の声に導かれてナグプールに行き、そこで不可触民制廃止を憲法で実現したことから「不可触民解放の父」と呼ばれる故・アンベードカル博士の功績に触れる。
 はじめのうちはヒンズー語もままならず、また相変わらず色情に思い悩む日々が続くが、決して私腹を肥やそうとしない清潔さ、卓越した行動力、断食・断水行の決行をはじめとする有言実行で、徐々に民衆の支持を集めていく。合気道浪曲で鍛えた体と声、人間の業と苦悩に対する深い思慮、外国人ゆえの既存の慣習を突破する力、インドのカースト制と貧困に対する憤り。エリート然とした従来のインド人僧侶にはないこれらの佐々井氏の魅力が、インド人の心を捉え、大きなうねりとなってゆく。1980年には第2回全インド仏教大会の導師を務め、名実ともにインド仏教徒の大指導者として、その名を全インドに知られるようになる。
 「闘う仏教」を謳う佐々井氏は、ヒンズー教徒に管理権を奪われたままになっているブッダガヤの大菩薩寺の返還闘争や、ナグプール近郊のマンセル仏教遺跡の発掘などでも知られる。大菩薩時の返還闘争については、1998年までの記述ではあるが、本書でも詳しく紹介されている。佐々井氏による大改宗運動の成果もあり、現在のインド仏教徒の数は、1億人を超えるという。史上、ここまでの大勢の人々に影響力をもちえた日本人は、空前絶後だろう。

 同氏については近年フジテレビの特集番組でも紹介され(http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2009/586.html
)、2009年には44年ぶりに日本に一時帰国、東京・護国寺をはじめ各所で講演されていたようで(http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090608
)、もしこのとき既に同氏の存在を知っていたなら、直接お目にかかりたいと必ず会場に参じたと思う。本書を読んだだけでも、いつの間にか熱に浮かされている自分に気づく。仏教界の中では明らかな異端児だろうが、あくまで実社会の不条理に行動を以って立ち向かう同氏の姿勢と、積み重ねてきた実績は、宗派を超えて圧倒的な存在感を放っている。生まれも育ちも拠って立つところの宗教も違うが、目の前の苦悩や欲望から目をそらさず、自らに課せられた仕事に全霊で取り組むということの大切さを、「金もいらぬ、名もいらぬ、命もいらぬ」という氏の言葉から、ただただ学ばされる。

(2008年、光文社新書

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