Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

レオン・ヘッサー 『ノーマン・ボーローグ 緑の革命を起こした不屈の農学者』

 あけましておめでとうございます! 
 さてさて、新年1本目は、ラテンアメリカとアジアにおける「緑の革命」の立役者でノーベル平和賞受賞者の故・ボーローグ博士の伝記。
 「緑の革命」という言葉を聞いた事はあるものの、それが実際に起こったのは当方が生まれるよりもはるか昔のこと。その中心人物だったボーローグ博士がどのように革命を実現したのか、彼が生み出した品種と技術の一体何が凄かったのか、本書を読んで改めて勉強させてもらった。
 
 本書によれば、1944年ロックフェラー財団によりメキシコに派遣されたボーローグ博士は、以後10年間の間に、重要な3つの品種改良を成し遂げる。まず、数千種の小麦を高配し、当時致命的な疫病であったさび病に体制のある品種を絞り込んだ。次いで、メキシコ内陸部の高地と沿岸部の低地を往復し一年に2度の交配を行い(シャトル育種)、多様な環境で栽培可能な早生型品種を開発。さらに、茎が短く茎数の多い(機械収穫に適し、倒伏しにくく、肥料の大量投入に反応しやすい)品種を開発し、大量生産の道を開いた。

 こう言ってしまうとあっさり聞こえるが、実際にボーローグ博士とそのチームが選抜・交配のために行った作業は、まさに忍耐の一言に尽きる。日の出から日没まで、手術用のピンセットを使って腰をかがめて手作業で交配し、記録をとる。本書によれば1952年までに6000個体に及ぶ穂数の小麦を交配したという。アイオワ州ノルウェー移民コミュニティの農場の家に生まれたボーローグ博士は、良識と勤勉を良しとする家庭に育ち、また学生時代はレスリング選手として活躍したと言うが、こうした強い体と精神がなければ、到底なしえなかった偉業だろうと思う。
 「シャトル育種」も、当時は前代未聞の手法であり、当初は財団の上司の賛同を得ることは出来なかったと言う。早期の優良品種開発を最優先するボーローグ博士は彼らを遂に説き伏せ、従来の2倍の育種スピードをもたらすとともに、予期しなかった効果を生んだ。異なる病気、異なる土壌、異なる気候、異なる日長時間にさらされて育った小麦は、世界のさまざまな環境でも栽培しうる高い適応力を備えたのである。
 そして、終戦後の日本から占領軍経由で入手した日本の矮小型小麦「農林10号」との交配が、既存の特長を残したまま、多く穂を実らせても倒伏しない、背丈は低いががっしりとした、肥料を伴う大量生産に適した革命的な品種を生み出した。メキシコのみならずアジアでも生産性革命をもたらした、奇跡の小麦。これらのコンセプトと手法は、フィリピンの国際稲研究所における「奇跡の稲」開発にも応用され、アジアの緑の革命の波及を促すことになる。

 ラテンアメリカやアジアにおける緑の革命の成功要因は、大量生産を可能にする品種の開発のみならず、当該国の指導者のリーダーシップによる肥料や種子の購入にかかる財政措置や、安定した作物価格政策、農業研究者・技術者の育成にもあったことを、本書を読んで改めて学んだ。これらのいずれについても、ボーローグ博士は、たゆまぬ実践と情熱的なロビーを持って、大きな存在感を示した。1966年インドのメキシコからの改良種子の大規模輸入にあたっては、時期尚早とするインド政府や財団の経済学者により大論争が巻き起こったが、彼らの主張には一切与しなかった。翌1967年には「今、インドに必要なのは肥料、肥料、肥料、貸付、貸付、貸付、適正価格、適正価格、適正価格!」と演説、①肥料の流通、②肥料・種子購入に対する貸付、③国際市場価格と同等の農産物価格の設定必要性を高らかに訴え、当時の副首相に直談判した。結果、インド政府は大量の改良種子を輸入、併せて必要な経済政策の変更を行い、1974年には穀物自給100%を達成している。
 一方、本書では詳しくは述べられていないが、アフリカにおける緑の革命は未だ道半ばの課題である。1985年、ボーローグ博士は、笹川良一氏とともに、アフリカの食糧問題についての取り組みを始める。未整備のインフラや高い肥料価格に苦しめられながらも、エチオピアやガーナにおいて一定の成果を上げた。しかし当時の時流は、世銀・IMFによる構造調整政策と、それに伴う農業開発からの政府部門の撤退にあり、アジアで実現したような当該国政府からの政策支援は望めなかった。

 肥料や改良種子の投入に依存するボーローグ博士のアプローチに対し、環境保護主義者や慈善団体から、よりコストとリスクの少ない技術を優先すべきだ、化学肥料ではなく有機肥料を活用すべきだ、との批判が多く寄せられた。しかし博士の反論は明快である:「アフリカの土と農民のニーズを有機物だけで全部満たせると公言すべきではない。それはまったく現実的ではないのだ」「毎年化学肥料から取り入れられる8000万トンの窒素がなければ、世界は40億人しか養えない。これは現在の世界人口より20億人も少ない数だ」「欧米の環境ロビイストの中には、社会の鑑とでもいうべき立派な人もいるが、多くはエリート主義者だ。彼らは、飢餓がどんなものなのかを実際に体験したことがなく、ワシントンやブリュッセルの快適なオフィスからロビー活動をやっている。1トンの食糧もつくったことがない」。

 また、遺伝子組み換え作物の利用についても、「母なる自然は何十億年にもわたり、遺伝子の壁を越えて遺伝子組み換え植物をつくってきた。信頼できるバイオテクノロジーは、敵ではない。飢餓こそが敵だ」と述べ、GM作物の導入あるいは検討については積極的な姿勢を貫いた。米国と多国籍企業の主導によってGM作物は世界で徐々に浸透しつつあるが、その是非については未だに議論が続いている。
 確かに飢餓撲滅と食糧増産の見地からみればGM作物には大きな可能性がある。一方で、「神の領域」を侵すことによる倫理的な問題は、どうしてもつきまとう。GM作物については当方も勉強不足だが、限られた面積の農地の中で、今後も増える世界人口を養っていくためにはどのような可能性も排除すべきではない、という博士のロジックは新鮮に映った。生態系に与えうる悪影響やモンサントなど多国籍バイオ企業による「搾取」説などGM作物に対しては批判的な論調も多いが、何らかのブレイクスルーがなければ21世紀における長期的な持続的な食糧供給が難しいのも事実。白か黒かの二元論を超えて、そのメリット・デメリットを客観的に検討していくことが必要だろうと思う。

(邦訳:岩永 勝 監訳、悠書館、2009年
 原著:Leon Hesser "The Man Who Fed The World" 2009.)


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