Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

司馬 遼太郎 『燃えよ剣』

 新撰組副長にして後の幕臣、齢35にして函館で命を散らした豪傑・土方歳三の生涯を描いた長編小説。

 本書で描かれる土方の生涯はまさに激烈で、「豪傑」を地で行くかの如くである。もともと新撰組は攘夷を掲げて発足したにも関わらず攘夷志士を切りまくったとの由で、(土佐人の当方にとっては余計に)大きな矛盾を感じたが、「会津藩尊皇攘夷は、幕権を強化した上での尊皇攘夷である。歳三は、新撰組会津藩の支配を受けている以上その信頼に応えるというだけが思想だった。しかし男としてそれで十分だろう、とおもっている」との作中説明、大政奉還が成った後揺れ動く近藤に対して土方が「われわれは、節義、ということだけでいこう」と説くシーンを見て、それはそれで一つの腹の括り方なのだな、と半分納得してしまった。
 新撰組時代はその規律の厳しさから「鬼の副長」と呼ばれたが、生来の性分に加え、烏合の衆である組を纏め上げるために、局長の近藤を担ぎ上げ人望を集めさせた上で自らあえて憎まれ役・恨まれ役を買って出ている、との描写があり、思わず成程、と思わされた。当方も含めて人はとかく八方美人になりがちだが、組織の固め役として嫌われ役に徹する土方のようなスタイルも、確かに社会人としてのあり方の一つではある(ただ、戦場で臆病風を吹かせても切腹、組から脱走しても切腹、何かにつけ「士道不覚悟」で切腹、という土方考案の鉄の規律は、現代で考えれば常軌を逸してはいるが)。
 また、近藤・土方・沖田といった新撰組の祖が何故武州出身だったか、というのも長年疑問だったが、武州の殆どが幕府の直轄領であり、百姓も「おらァどもは大名の土百姓じゃねえ。将軍さまの直百姓だ」という気位と将軍家への愛情を持っており、幕吏(代官)の寛治とも相俟って「自然、宿々には博徒が蟠踞し、野には、村剣客が力を誇って横行した」との解説があり、合点がいった。近藤・土方の両名が理想とした士道が、戦国時代以前の「坂東の古武士」である、との作中描写もある。同じ日本人と言えども、各地域の気候と伝統によって人の気質は大いに異なる。この武州人の魂が、時代を超えて幕末の京に舞い戻り。異なる志を持った西方諸国の志士を屠りまくったのが、新撰組という苛烈な一時代の現象であった、とも理解できる。但し新撰組がただの烏合の衆ではなく、瓦解する幕府の中にあって各々の実力・組織の強固さとも当代最強の剣客集団だったことは、維新志士側にとっては大いなる不幸であったが。

 作中終盤、土方は榎本武揚らと共に五稜郭に拠点を構え、戊辰戦争における幕府方屈指の軍師として奮迅の活躍を見せる。攘夷を掲げつつも洋学から学ぶことを躊躇しなかった彼の一連の作戦はきわめて合理的で、作中で榎本が評するとおり、その指揮はまさに「芸」の域にあったようである。五稜郭の幕軍降伏直前、敵軍の中を単身切り込み、遂に函館に至り、「新撰組副長が(官軍)参謀府に用がありとすれば、斬りこみにゆくだけよ」と言い放つも官軍の銃撃で絶命する最期のシーンは、あたかも稀代の名画を見ているかのようである。

(1972年、新潮文庫、上・下巻)


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