Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

白井 さゆり 『欧州激震』

 前著『欧州迷走』から1年後、世界経済危機とギリシャ粉飾決算をきっかけとして顕在化した欧州諸国の財政危機についての現状をまとめた単行本。

 2008年の世界経済危機に伴い各国政府が財政出動を行った結果、(もともと赤字基調だった国は特に)財政状態が悪化、リスクテイクに慎重になった投資家の姿勢も相俟って、欧州諸国の財政状態に対する懸念が高まった。2009年10月にギリシャの新政権が、過去の粉飾決算と、2009年でGDP比12.5%とユーロ圏の財政規律基準(3%)を大幅に超える赤字額を明らかにしたことにより、その懸念は本格的なものとなった。この新たな危機は、当該諸国のみならず、同諸国の危険な国債を抱える投資家、特に欧州内の銀行部門にも多大なダメージを与えつつある。財政危機に揺れる諸国の背景と現状を、本書に沿って簡単にまとめると、以下のようになる。

ギリシャ
 「先進国」ギリシャ粉飾決算と大幅な財政赤字は、市場に大きな衝撃を与えた。もともと同国では①身の丈に合わない年金制度、②拡大を続けた大きな政府(公共部門のGDP比は40%)、③伝統的な脱税文化により放漫な財政運営が続いており、最新統計によれば過去一度もEUの財政規律基準を満たしたことがない。加えて、海運や観光以外に主な産業を持たず、国際競争力は脆弱であり、経済成長による財政収支の黒字化はかなり厳しい。新たな財政緊縮策を受けて国民の不満は高まっており、ストやデモによって肝心の観光業への影響も出ている。国債保有者は海外投資家が8割であり、日本やイタリアのような国内投資家のホーム・バイアスに期待することもできない。
ポルトガル
 動労市場の硬直性、過剰規制、低生産性といった構造的な問題が放置されており、景気後退時に取れるオプションがそもそも限られている。過去10年ほどにわたって殆ど経済成長を実現できておらず、財政収支は常にEU規律基準を超えて赤字気味であり、民間を含む対外債務がきわめて大きい。
スペイン:
 世界経済危機に伴う不動産・建設バブルの崩壊により深刻な景気後退に直面、大掛かりな財政出動によって財政収支が大幅に悪化した。国内の構造改革が元々遅れ気味で危機からの立ち直りが遅れ、かつ高い失業率が社会不安を後押ししている状況。
アイルランド
 危機の影響はスペインと同じ構図であったが、北欧ならではの国民の堅実さ・団結心の高さからか、民間を含む経済全体の賃金削減、及び大規模な財政緊縮を、大きなストやデモもなく粛々と実行しており、危機にあえぐ南欧諸国とは一線を画す形で、市場の信任を得つつある。
イタリア:
 ①危機に際しての財政出動が大掛かりではなかったこと、②外国資本への依存度が低く国内市場に厚みがあること、③年金改革に着実に取り組んできていること、④銀行部門が比較的健全で、家計・企業の債務も低かったこと、⑤相対的に対外債務が抑制されていたことから、国債利回りはかえって近年低下してきている。ただし構造改革や成長政策の停滞が続けば、このトレンドが急に反転する可能性は拭いきれない。

 この南欧債務危機の問題はまさに日を追うごとに事態が進展しており、9/17付Economist誌は、スペインやポルトガルについては一時的な流動性不足に陥っているだけでECBによる上限なき流動性供給があれば救済は可能としつつも、ギリシャについてはもはや救済は不可能であり、秩序だった債務削減(デフォルト)のフェーズに移るべき、との見解を示している(http://www.economist.com/node/21529049
)。実際の市場においてもギリシャ国債流動性は事実上ゼロであり、ドイツの政治家やマスコミもギリシャのユーロ離脱を公然と唱えるなど(但し本書によれば、ユーロを離脱すれば同国の債務は全て外貨建てとなりこれといった輸出産業を持たないギリシャにとって致命的で、このオプションは事実上ないに等しい)、ユーロとEUは文字通り結成以来の危機に立っている。
 白井氏は、今回の財政危機によってあぶり出された欧州の問題点を、①財政規律のなさ、②緊急事態に対応する仕組みの欠如、③銀行部門の健全性に関する不安、④長引く低成長に集約しているが、特に④についてはEUのみならず加盟国政府による中長期的な覚悟と政策努力が不可欠であり、一筋縄ではいかない。特に南欧諸国では労働部門の改革は政治的に不可能に近いとされて久しい。公的支援の妥当性についてもドイツなど北欧諸国の態度が日増しに硬化しており(あたかも20世紀後半の東西対立に替えて南北という新たな対立軸が引かれたかのようである)、欧州の指導者がよほどの政治力を示さない限り、状況の一気解決はきわめて難しい。

 先日の米国の債務上限問題もそうだが、日米欧の先進諸国では、国民に痛みを強いる政策を遂行することが極めて難しく、米共和党のような非現実な主張がまかり通り、それが迅速な対応をどんどん後ろ倒しにする結果となっている。人口減少と内需の縮減、長引く低成長によって取れる政策オプションがどんどん少なくなってきているにも関わらず、多数の国民にとって一度体験した高い生活水準を手放すことは困難である。他方、中国やインドといった新興の大国が、今後数十年でアメリカをGDPで抜くことが確実となっている。歴史は繰り返すというが、唯一正解の政体はなく、また唯一絶対の帝国が過去もついに存在しえなかったように、20世紀を謳歌した民主主義の福祉国家という国家モデルが新興諸国のそれに取って代わられる歴史の変わり目を、今まさに目撃しているかのようにも感じる。

(2010年9月、日本経済新聞出版社

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/F/Foomin/20190829/20190829193203.jpg