Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ビル・エモット、ピーター・タスカ 『日本の選択』

 元「Economist」誌東京支局長のエモット氏、日本在住の市場アナリスト・タスカ氏による、日本の進路についての対談集。どちらも英国人というバックグラウンドを反映してか、対談における両者の指摘は、基本的に自由主義と市場主義の思想に沿った、当事者である日本人には中々できない、プラグマティックで率直な提言に満ちている。

 対談がカバーする範囲は、政治、安全保障、産業、金融、社会保障、教育など広きにわたるが、一貫するテーマは、「日本はこのまま消極的・内向的なままで居続けるのか、或いは変化を恐れず積極的・外向的な国として生まれ変わるのか」という問いかけである。タスカ氏は、「平和主義、内向性、リスク回避、官僚支配、サラリーマン気質」といった現代日本の特徴(カレル・ヴァン・ウォルフレンが既に1980年代に世に出した主張(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/29868194.html
)とも通じる)は、「特殊な世界構造の産物であり、そのような日本的特徴を生み出した時代はもうすでに終わって」いる、と指摘した上で、日本は「鎖国政策を採るのではなく、世界とダイナミックな関係を取り結ぶという道しかないのではないか」と言う。
 当方も「鎖国」よりは「開国」のほうがよほど建設的で、結果として日本人の幸福にもつながると思っているが(というか大体の日本人はそう思っていると信じているが)、現実問題として、政治も経済も社会も世界に対して積極的に関与しようとしている領域はまだまだ少ない(一部の輸出企業くらい?)。世界屈指の経済大国としての責任を果たしてきたかと問われれば、自衛隊の海外派遣の問題ひとつ取ってみてもとても十分とは言えない。若年層の海外志向もどんどん失われていると聞くし、このまま日本が「ガラパゴス諸島」として世界の中で漂流し続ける可能性は高いようにと思う。
 ちなみに本書は、ドゴール主義のフランスのような「独自の道」を歩む可能性についても触れているが、タスカ氏は「フランス人になれるのは、フランス人だけです。極端に非情で、辛辣で、利口でなければなりません」と一蹴している。

 本書を読んでいくと、著者が「積極的・外向的な日本」を促す背景のひとつは、超大国となりつつある中国であることが分かる。タスカ氏は、「日本としては、アメリカとのあいだの特権的な関係を保険として維持しておくことがひじょうに重要になるのです。アメリカがどんなに扱いにくい相手でも、将来中国と向かい合ったときに起きる困難に比べたら、なんでもありません」と言う。またエモット氏の「現実問題として、共産主義政権下で手に負えない問題は、たとえ中国が民主化の方向に向かったとしても、かならずしも手に負えるようにはならないということです。中国の民主化の過程で、ナショナリストやポピュリストの力が強くなれば、中国の覇権主義はますます露骨なものになる可能性があります」との指摘には、思わずはっとさせられた。確かに考えようによっては、(もちろん人々の間の反日思想を植えつけてきたのは中国共産党の教育政策であり、意向に沿わない人々を弾圧しているのも共産党だが、)これまでの共産党政権が、過度な覇権主義に傾きがちな国民と、周辺国との間のクッションの役割を担ってきたと見ることもできるかもしれない。長期的に見て中国の民主化は不可避としても、かえってこうしたリスクが顕在化する可能性も、予め認識しておくに越したことはない。

 他にも、教育制度について、「学校で習ったことは実社会ではほとんど役に立ちません。問われているのは、異文化への適応能力や機転や意欲なのです。・・・二十代の若者に必要なのは意欲と野心と熱意であり、ハングリー精神なのです。・・・それがいまの日本人に欠けているものです」、アジア金融センター構想について「日本はアジアの金融センターをつくることを本当に願っているのでしょうか。日本人は金融関係の仕事を疎んじ、恥ずべきものと考えている節さえあります。・・・この見解はマルクス主義と殆ど変わりません」など、時間空間的に広い視野からの意見は興味深い。
 とくに消費性向の強い英国経済と対比しつつ、「いまの日本経済は、以前よりもさらに企業寄りで、生産性優先であり、余暇や消費に重きを置くものではない。いまだに生産者中心の経済なのです。・・・消費の比率はこの十五年間下がり続けているのに対して、設備投資と純輸出の比率はずっと上昇し続けています。つまり、前川レポートの目指したものは、まったく実現されていないといことです。・・・ゆとりのある経済をめざしていたはずなのに、現実には定年後も働くことをやめられない経済になっているのです」、と述べた点は印象に残った。現在自分が滞在するフランスの社会を見ても、この点は確かに生産第一の日本の風土とは一線を画すところである。消費の向上を促すためには、賃金上昇、インフレ誘導(デフレはもっての外)、過度の貯蓄性向の解消(おそらく信頼ある年金制度の設計が肝)といった政策が必要だが、いずれの点についてもこの20年間、日本国民は政府に裏切られ続けてきた。

 因みに本書は2006年発行で、エモット氏が「アメリカ経済は非常に柔軟なものであり、放っておいても、みずからを復元させる能力を持っています。・・・わたしが心配しているのは、政治家が余計なことをすることなのです」と述べるなど、かなり「小さな政府」寄りの意見が目立つが、金融市場の暴走によって起こった2008年のリーマン・ショックを経た今となっては、この点については多少の留保が付けられるかもしれない。
 とはいえ、昨今の債務危機で調整力と決断力の欠如をあらわにした欧米の政治を見れば、そして失われた20年を経て震災後にも関わらず相変わらず機能不全はなはだしい日本の政治を見れば、民間と市場の自律的な経済活動に対して政治が「余計なことをしない」ことの大切さは、ひとつ自明の理でもある。



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