Foomin Paradise (読書ブログ)

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柴田 三千雄 『フランス史10講』

 フランス近代史の研究者・柴田氏によるフランス史の概観。ガリア、フランク王国の時代から、絶対王政、革命、ナポレオン戦争ド・ゴールを経て現代に至るまで。高校時代に世界史を習ったことのある人であればすんなり読める。

 中世フランスにおいて、シャルルマーニュの後継者を自任した東フランク王と違い、歴代の西フランク王は何らかのかたちで新たな正統性の原理を示す必要があった、という点は興味深かった。彼らは、ランス(現在のフランス領土内)に保存されている聖油の小瓶をキーアイテムとして、5世紀のクローヴィスの洗礼において聖霊の化身である鳩が運んできた聖油の小瓶によって塗油の儀礼を行った(塗油によって超自然的な力が王に宿った)との伝説を考え出し、戴冠のたびにこの儀礼を繰り返してきた。結果としてフランス王は「神意に立脚する王権」としての正統性を保ち、国内のみならず近隣諸国においても東フランク王や神聖ローマ皇帝に比して「ヨーロッパの中でもっともキリスト教的」と評価されるに至ったという。

 フランス革命についてはその長期性・複雑性に加えて、余りに多くの研究者が色々な自説を立てているためシンプルに理解することが難しいが、本書によれば、フランス革命は「貴族の王権に対する反抗、ブルジョワの貴族に対する反感、都市民衆の食糧暴動、農民の土地騒擾」の4つの革命が同時に発生した複合型の革命であり、中でもブルジョワの革命が最大の成功を収めたものの、強固な基盤を持つ新たな政治勢力が台頭するまでには程遠く、政治・経済の混迷が長期化した結果、強権を待ち望んでいた民衆に支持される形でナポレオンが1999年のクーデターを経て絶対権力を握った、ということになる。
 本書ではフランス革命明治維新の違いについて触れ、「フランス革命では変革主体が『自由』・『平等』の二理念を統一するリベラル・デモクラシーを掲げて登場し、きびしい状況のなかでジャコバン主義とボナパルティズムが派生するのに対して、日本の明治変革では、抵抗勢力が比較的容易に排除されたため、民衆的要因の介入への依存が弱い」と述べている。確かに明治維新では、あくまで武士階級が主役であり、しかも革命が短期間で決着したことから、被支配階層である農民など一般民衆の関与はきわめて薄いものに留まった(民衆にとってはあくまで「上から降りてきた革命」)。このときの全国民的な関与の有無が、両国民の政治に関する主体性の相違(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/35356455.html
)につながっていると考えるのは早計だろうか。

 もうひとつ興味深いのは、1852年以降のルイ・ナポレオンによる第二帝政の扱いである。フランスは1848年に既に普通選挙制を導入していたが、これは第二帝政下でも継続された。帝政と普通選挙制の共存は一見奇異に映るが、実際のところ普通選挙で選ばれる立法院の権限は制限され、選挙はそもそも官選候補制であり、かつ行政府の任命は皇帝の権限に留まっていた。「要するに、デモクラシーは権威主義と結びついて、自由を侵害する専制となった」のだ、と柴田氏は言う(トクヴィルらも当時この問題を指摘していた)。同氏によれば、結局のところ第二帝政は「政治的デモクラシーが出現した事態に直面した名望家が緊急避難的に逃げ込んだ、名望家国家の亜種」であり、政治権力の重心が一部の特権階級から広く民衆の間に実質的に移るまでの、あくまで一時的な権力移行装置であったと見ることができる。

(2006年、岩波新書


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