Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ポール・コリアー 『The Bottom Billion: Why the Poorest Countries Are Failing and What Can Be Done About It』

 オックスフォード大の政治経済学者・コリアー教授が「The bottom billion(最底辺の10億人)」の現状と対応策をまとめた本。以前ぱら読みして放っておいたのを、少し時間が出来たのでもう一度じっくり読んでみた。
 
 本書は、現代世界の貧困や紛争を考える上で万人にとっての必読書。最貧困層から抜け出せずにいる国々を表す「The bottom billion」という余りにも有名なコンセプトを世に出したほか、経済偏重だった既存の開発学の枠を超えて、政治と経済の領域をクロスさせた包括的で明瞭な分析を示した。刊行から4年が経過したが、この分野で本書を超える著作はまだ世に出ていないと思う。
 コリアー氏が主に用いるのは、蓄積された過去の膨大なデータを用いた計量経済学と、アフリカ諸国を中心とした事例分析。中には研究者同士のピアレビューを経ていない自身の研究成果を紹介する箇所もあるが、用いた手法と手順について詳しくその都度本文で触れていることもあり、本書全体の主張の信憑性を落とすまでには至っていない。

 本書によれば、「The bottom billion」が嵌っている罠は、①紛争の罠(低所得、低成長、一次産品への依存が紛争を誘発し、更に経済を悪化させる)、②天然資源の罠(オランダ病による他の輸出産品の低い競争力と不安定な資源価格リスクがかえって経済を弱体化させる)、③悪い隣国に囲まれた内陸国(外部との交易が難しく発展の選択肢が少ない)、④小国におけるバッドガバナンス(せっかくの技術や資本を殺し、発展への道筋をふさぐ)の4つ。4つ全てに該当するコンゴ民主共和国をはじめ、最貧国と呼ばれる国々は全ていずれかの罠に引っかかっている。近年のグローバリゼーションでさえも、賃金が安い上に一定の経済集積を持つアジア諸国が間隙を埋めた後となっては、特別の方策を講じない限り、既に罠を抜け出した国々との格差を拡大するばかりだという。

 本書の白眉は、以上の課題に相対する上で、従来この分野で主に論じられてきた援助偏重の解決策を超えて、①援助に加えて②軍事介入、③法と憲章、④貿易政策に関する方策が必要であると断言、その処方箋を具体的に述べている点にある。(コリアー氏は、ここまで包括的な対応は先進国首脳によるリーダーシップによってしかなしえないと述べているが、財政危機と指導力の欠如に揺れる現在の日米欧がどこまでこれらの対策を実現できるか、楽観的になることはとても難しい。)

 ①「援助」については、バッドガバナンスの国に安易に資金を供与するリスクを戒めた上で(同氏の研究によればアフリカ軍事予算の40%が結果的に対外援助を流用したもの)、援助にあたりガバナンス改善の条件(Govenance Conditionality)を付すこと(折りしもEUが「アラブの春」を受け今年6月に承認した新近隣政策はこの導入を明記している)、被援助国の政治的リーダーシップが確認される状態で行政能力を高めるための技術援助を集中的に供与しその数年後に資金援助に移行すること、改革が見られない状態においては管理費を上積みして援助機関自身が案件をしっかり監督すること、或いは担当省庁の介入を排除する形で社会サービス提供を一元的に担う「独立サービス庁」を設立すること、オランダ病を回避するために港湾整備など輸出セクター強化のための援助を重視すること、等を提言している。
 援助機関の人間にとっての教訓としては、こうした国々の課題に取り組む上で持つべき視点の広さ、「援助だけでは全てを解決できない」という謙虚さを改めて肝に銘じると共に、国毎・セクター毎に前年比較主義で予算を配分する援助機関の縦割り体制に対して根本的な疑義を投げかけるべきだろう。ガバナンスの問題については、財政支援から距離を置き一定の管理費を保ちながら丁寧にプロジェクトを積み重ねてきた日本の援助は不正や汚職が介在する余地は比較的少ないのではないか、と何となく思う一方、例えば内陸国でありながら貴重なダイヤ資源を適切に投資し中進国入りを果たそうとしているボツワナと沈殿したままの近隣国とを比べれば経済発展においてガバナンスが決定的に重要であることは明らかであり、上述のGovernance Conditionalyの即導入などはさすがに難しいと思うものの、少なくとも本書のような合理的な研究成果を横目で見ながら日本の援助もこの分野で何ができるのか、真剣に考えてゆかねばと思う。

 ②有事の際の国外からの「軍事介入」については、数十万の死者を出したルワンダのジェノサイド(1994)が国際社会の無関心に拠るところが大きかった事実、また(国際的な軍ではなく)当該国政府軍の予算増が紛争リスクを増すとの同氏の研究結果を踏まえれば、この提案は妥当であると思う。近年のイラク戦争は確かに世紀の愚策だったが、だからといって全ての軍事介入を否定するのはナンセンスである。ちなみに本書で唯一日本の名前が登場するのがこの項で、コリアー氏は日本もこの責任から逃れ続けるべきではない、と言っている。
 ③国際的な「法と憲章」の導入対象としてコリアー氏が挙げるのは、天然資源歳入、民主主義、予算の透明性、紛争直後の環境、投資の5つ。クラスター爆弾や紛争ダイヤ取引の禁止で大きな効力を発揮したツールであることを考えれば、政府やNGOに加えて、メディアや市民の間でもっとこのツールの有効性が認識されて良い。
 ④「貿易政策」についてコリアー氏は、先進国・後進国のいずれもを巻き込んだ自由化政策、外国市場を活用し生産性を高める策としての後進国の貿易多様化、アフリカに配慮しつつ統一的に関税を下げる優遇政策、交渉ではなく移転の場へのWTOの転換(かつてIDAがその役割を変えたように)を主張する。特に「交渉ではなく移転の場としてのWTO」という考え方を述べる項では、目から鱗が落ちた。貿易はやたら感情的な議論がまかり通っている分野なだけに、自分でももっとファクトを勉強しないといけないのだが、少なくとも国際的な貧困削減の視点から見たとき、同氏が提案する方向性はかなり的を得ていると思う。   
 
(原著:Paul Collier. 2007, Oxford University Press.
邦訳:中谷 和男 訳『最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か』日経BP社、2008年)


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