Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

ポール・クルーグマン 『クルーグマン教授の経済入門』

 1994年に第1版が発行された、当時MIT教授のクルーグマン氏による、アメリカ経済の諸問題の解説書。生産性、所得分配、雇用と失業、貿易赤字、インフレ、ヘルスケア、財政赤字、金融政策、ドル、貿易、日本問題。既に第1版発行から15年以上が経過したが、米国の(ひいては日本の)マクロ経済を見るうえで必要となるエッセンスは全く古びていない。

 本書では、以降の同氏の一般向け著作(たとえば http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/25313854.html
)にも共通する、マクロ経済上の主要問題に対する同氏の基本的スタンスが簡潔に示されている。クルーグマン氏は、本書の冒頭で、経済にとって主要な問題は生産性、所得分配、失業の3点のみ、インフレや貿易赤字といった問題は二次的に過ぎない、と断言している。ここまで大胆に、かつ正面から、経済問題の全体像を切り取った本を他に知らない。
 分からないことは「分からない」とはっきり述べる同氏の姿勢も、本書のメッセージの説得力を増している。同氏が「長期的にはそれがほとんどすべて」と述べる生産性成長についても、その要因については、投資でも教育でも研究開発でも技術革新でも大きな相関関係がなさそうであり、要するによく分からない、通常の政策ではいかんともしがたい、と言う。所得格差の章でも、所得最下層拡大の理由を、福祉切り下げのせいとも補助金付けのせいとも言わず「むしろ社会学の領域」と述べるなど、清々しいほど潔いのである。
 これらの主要問題から一段下がって、通常の政策でコントロール可能な貿易赤字やインフレについては、同氏の主張はよりクリアーになる。貿易赤字については、「究極の原因は、アメリカの貯蓄が低下したことにある(外国からの投資が増えると、会計上、より多くの輸入が必要になる)―そしてそれは、一部に過ぎないとはいえ、財政赤字のせいでもある(十分な政府貯蓄があれば外国からの投資の必要性は下がる)」。インフレについては、概念そのものが悪であるとする風潮に警鐘をならす:「年率10%以下のインフレなら、そのせいでお金が使われなくなるなんてことは、まあほとんどない」「インフレを下げようとするとすんげえ高くつく、というのは一致した見解。まあ標準的な計算によれば、インフレを年率1%下げるには経済はキャパより4%低いくらいで動かなきゃなんない。」
 
 本書の原題は"The Age of Diminished Expectations"、直訳すると「減じた期待の時代」である。1970年代以降、米国家計の実質収入は横ばいで、所得格差は拡大し、生産性成長も期待より大幅に低い伸び率に留まった。それでもなお、今後10年間程度は、政策担当者がこれまでと同じくらいのパフォーマンスを保てば、特に問題にはならないだろう、とクルーグマン氏は総括する。しかしながら、その後に訪れる高齢化社会とそれに伴う膨大な財政赤字にどう対応するかについては、「生産性が激増でもしないかぎり・・・この3つの考えがたいこと(社会保険給付額の削減、勤労世代への増税、貨幣増刷によるインフレ)のうち、少なくとも1つは現実になる」と予見している。
 個人的には、現代に通ずる本書の主要なメッセージの一つは、財政赤字の章の最後、「税金集めと支出の現実を見れば、ほとんどすべての犠牲は中流層が背負い込むしかないのは明らかなんだ(本書発行時はブッシュ政権の富裕層減税の前。今となっては富裕層増税/累進課税の強化が順番としては先に来るだろうが)。・・・これを説明する責任を果たそうとする政治家も、ほとんどいない」だろうと思う。本ブログでも、日本の高齢化社会と年金財政危機についてちょこちょこ触れてきたが(たとえば http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/34417181.html
)、この当たり前ではあるが、しかし直截な指摘には唸った。要するに、制度の構造や調整などテクニカルな小手先の話題は既に百出しているが、最大の問題は、国民もメディアも政治家も、誰も正面きって国民が背負うべき負担については語ろうとしないことなのである。別に日本に限らず米国も欧州も、今更指導者が選挙の洗礼を受けない政体に変更することは殆ど不可能なのだから、指導者がきちんと一般向けに国民負担を説明し、メディアや国民も彼らの話をしっかり聞く姿勢を持つことが肝要なのだが、なるほど実際には現代の主要国でそうした場面にお目にかかることは殆どない。

(邦訳:山形 浩生 訳、ちくま学芸文庫、2009年
 原著:Paul Krugman. "The Age of Diminished Expectations." 3rd edition, 1997, MIT Press.)


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