Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

魚住 昭 『野中広務 差別と権力』

 ノンフィクション作家の魚住氏による、一時「影の総理」とまで言われた野中元官房長官の半生を描いたルポルタージュ。2006年に文庫化されたばかりだが、既に古典の域に達していると言っていい。
 
 唐突だが、高村薫の『レディ・ジョーカーhttp://blogs.yahoo.co.jp/s061139/34578600.html
)』を読んでから、どうも部落差別の問題が頭から抜け切れないでいる。過去に自分自身がそうした差別の経験に遭遇していないからか取り立てて掘り下げる興味も沸かず、問題がセンシティブであるからか体系だった書籍も少なく、なかなか視点を深める機会を持てずにいた。
 始まりは小学生の頃、社会学習の時間で学校近くの元被差別部落に連れて行かれ、子どもながらに「解決されたと言われている部落差別の問題を、何故あえてわざわざ小学生に教え込むのだろうか。不必要な差別意識を、小学生の心の中に不用意に持たせることになるんじゃないだろうか」と訝った記憶がある。
 今では、部落差別の起源に関する諸説や、被差別部落の人々が受けたさまざまな苦渋に満ちたエピソード、差別解消に向けた闘争の歴史、こうした問題を覆い隠そうとしてきた戦後日本社会の欺瞞など、さすがにもう少し多くの情報を知ってはいるが、色々と調べてみればみるほど自分の中で整理するに難しい問題だとの印象を強くしている。

 本書は、稀代のたたき上げ政治家・野中氏の本格的な評伝だが、部落との関わりを切り口に据えたことで魚住氏は野中氏本人から強い叱責を受けたそうである。しかしその切り口があるからこそ、自らの出自をエネルギーの源泉として政界をのし上がった野中氏の剛腕と、一方でハンセン病訴訟で見られるように弱者への眼差しを併せ持った同氏の一言では語りつくせない魅力が、一層引き立つ結果となっている。
 野中氏は、故郷の町議から政治家としてのキャリアを始め、生来の能力の高さもあって実績を次々と残し、町長、府議、国会議員、と次々と出世していく。「もともと野中という人には終始一貫した思想とか、特定のイデオロギーというのはないんです」という同氏の友人の言も紹介されているが、ともかく地方自治の現場から叩き上げた同氏の調停力は、中央政界でも群を抜いていた。町長時代、公共工事の査定に来る中央の役人を、ただ接待するだけではなく賭け麻雀で勝たせて徹底的に懐柔し、有利な査定を勝ち取ったエピソードが紹介されている。差別の激しい土地柄の京都の政界で、自らの出自を活用し部落の内と外とで異なる顔を使い分け、類まれな調停者としての地位を確固たるものにした。
 他方で、政治的剛腕とは裏腹に、同氏の弱者への暖かい眼差しを表すエピソードにも事欠かない。本書でも、サラリーマン時代に戦災したケロイドの売春婦に出会い、身の上話を聞いて二十円を握らせたエピソードがまず紹介される。政界入り後、1973年の京都府議会では、自らの就職先での被差別体験を引きつつ、「府議になることよりも、町長になることよりも部落差別をなくすことが私の政治生命であります」と明言。官房長官になってからはハンセン病訴訟の控訴取り下げに向けた調整に力を入れ、代議士を辞める直前には人権擁護法案の成立に奔走した。辞任直前の党総務会で、部落出身であることを理由に総理にふさわしくないと以前放言した当時の麻生太郎政調会長に対し、「君のような人間がわが党の政策をやり、これから(人権担当の総務)大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」と怒りをこめて叱責するシーンには、思わず息を呑む。

 1990年代末の政界に君臨した野中氏に対する官僚とマスコミの評判は良くなく、世論に煽られるかたちで、腹心の鈴木宗男代議士の逮捕に続き、野中氏はあっさりと政界から身を引いた。確かに同氏の政治手法には常に恫喝や不透明な利益誘導の匂いが付きまとったし、また明確な国家ビジョンを持たない同氏の指導者としての政策判断は迷走気味でもあった。しかしそれでも、実力と重みを兼ね備えた政治家が大した慰留もなくあっさり退いてしまったという意味で、巻末で解説の佐藤優氏が述べるように、同氏の退場は確かに「ひとつの時代の終わり」であったかもしれない。ここ数年間の、言葉も行動も軽い子どもじみた各政権と、それを是とし自浄機能を働かせない与党全体の末期症状を見るにつけ、その思いはますます強くなる。

(2006年、講談社文庫)


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