Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

魚住 昭 『渡邉恒雄 メディアと権力』

 日本のマスコミ業界に君臨する、現読売新聞グループ本社代表取締役会長兼主筆の渡邉氏の半生を描いた評伝。

 日本のマスコミは伝統的に権力に近い場所に位置して来、またその権勢の大きさから、行政・立法・司法に次ぐ「第四の権力」などと称されてきた。渡邉氏はその象徴ともいえる存在である。後の副総理・大野伴睦番記者として政治権力の中枢に食い込み、児玉誉士夫や池田勇作、中曽根康弘らと強いパイプを保って社内で権勢を伸ばし、徹底した恐怖政治を敷いて「マキァヴェリズムを体現した男」と呼ばれ、「1000万部」の御旗をもって今なお日本社会の頂点の一角に君臨している。

 戦後日本のジャーナリズムを担う第一線の記者にとっては、そもそも政治権力との近すぎる関係、会社による言論統制や徹底した管理主義の類は、本来もっとも唾棄すべき要素のはずだった。ジャーナリズムの原則を曲げてまで己の権力に固執する渡邉氏の行動原理の背景は、それなりに興味を引くところではある。本書を読めば、それは殆どのところ、裏切りと粛清にまみれた東大共産党時代の活動に由来するものであることが分かる。同氏の活動は、主義主張による言論対立などではなく、単なる政治闘争の色合いが濃い。「恫喝と籠絡」をもって大規模な人数を動員し、反対派を切り崩し、己の支配領域を拡大する。若い頃に覚えた快感は、生涯を通じて忘れられないものなのだろう。

 あたかも実業家のように全国紙を転がした挙句、いまだに主筆として社論を統制し続ける同氏の姿勢には、そう簡単に共感することはできない。今年2011年に入ってからも、いまだに自民・民主の大連立を画策したり、地震後のプロ野球の早期開幕を主張して国民の反感を買うなど、同氏の行動には、本来ジャーナリズムが寄り添うべき市井の視点が完全に欠けている。同じ魚住氏による野中広務氏の評伝(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/34880501.html
)では、同じようにその所業には功罪あれど、主人公の魅力の深さに感じ入ることもままあったが、本書ではただ一貫して主人公の矮小さを見せ付けられるだけであり、何とも言いようのないどんよりした読後感が残る。

(2003年、講談社文庫)

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