Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

髙村 薫 『レディ・ジョーカー』

 1997年に刊行され文壇に大きな衝撃を与えた社会小説『レディ・ジョーカー』の文庫版が、昨年ようやく刊行された。1997年当時は敷居が高くて途中で挫折してしまったが、社会人になった今読んで見ると、この小説がもつ広さと奥深さに改めて圧倒される。
 1980年代のグリコ・森永事件をモチーフに、被差別部落闇金融、政治家の贈収賄といった戦後日本社会の暗部を象徴するテーマを織り交ぜ、半ば愉快犯とも思える競馬仲間の犯人グループ、テロの対象となった企業経営者、異端の刑事と検事、奔走する新聞記者ら、関係者の苦悩と変遷をこれでもかというディテールの筆致で描く。

 読み方は読者によって多種多様。ひとつ注目できるのは、戦後の日本社会が巧みに覆い隠してきた矛盾と、その矛盾を象徴する企業テロ(犯人グループの動機のひとつは、企業の部落差別に対する静かな怒りである)に遭遇したとき人々がどのように反応し、相対してゆくかという経過。また、自己の考えや生き方を貫き通すために、世間や組織を背負った人間が自身の内でどう折り合いをつけてゆくか、という内面で相克に重点を置いて読むこともできる。テロの対象となったビールメーカーの社長・城山は、決して正解の出ない状況の中ぎりぎりの判断を続けてゆくが、最後には犯人との通話を記録したテープを警察に引渡し、また副社長の倉田とともに総会屋と正面から相対する道を選ぶものの、終章であっけなく凶弾に斃れる(その記述わずか5行)。犯行を成し遂げた犯行グループも、結局自らの「悪鬼」と同居せざるを得なくなった物部をはじめ、金を捨てて失踪した布川、自らの犯罪衝動を果たすために刑事を刺した半田など、犯行を経て必ずしもそれぞれの苦悩が軽くなったわけではない。

 今となっては髙村作品の最大の特徴ともいえる個々の登場人物の極めて精緻な心理描写も、本作品以降はパートによっては冗長、本作品以前は短すぎてやや物足りない印象があり、物語の深さと疾走感を両立させるバランスという意味で本作品はひとつの到達点を示したともいえる。パリにいる間は東京に居た頃よりも比較的時間の余裕があるためこれまであまり読まなかった小説も色々読んでみようと思っているが、自分の中ではこの『レディ・ジョーカー』がひとつのメルクマールになっている。

(2010年、新潮文庫、上・中・下)


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