Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

西川 恵 『エリゼ宮の食卓―その饗宴と美食外交』

 もと毎日新聞パリ支局の西川氏が、エリゼ宮(フランス大統領官邸)の宴を通じて、フランス外交の舞台裏に迫ったルポ。類書のない試みで、グルメ本としても外交本としても楽しめる。フランスでたまたま見つけた本だが、早くも2011年のマイベスト本3にノミネート。

 現代のフランス料理のコースメニューは、前菜(1~2品)、主菜+付け合せ、デザート、というシンプルな構成で、エリゼ宮で供されるメニューも例外ではない。加えて白と赤1本ずつのワイン、乾杯のときにシャンパンがサーブされる。ミッテランシラクをはじめ歴代の大統領は、主賓の格や個人的な親密度に応じて、このシンプルなメニューに多様なメッセージを織り込んできた。本書冒頭で、冷戦構造崩壊時の激動の世界をともに担ったブッシュ・米大統領を最後にもてなしたメニューと、若く新しい世代のクリントン大統領を最初にもてなしたメニューが対比される。なるほどブッシュ大統領には単なる外交儀礼の枠を超えた歓待を、クリントン大統領には新しい大統領に対する期待と戒めを、それぞれミッテラン大統領が込めたことが分かる。昭和天皇エリザベス女王ゴルバチョフ書記長や江沢民国家主席など国家元首国賓)に対しては、現代フランス料理でおよそ考えられる最高レベルのもてなしが供されており、メニューを眺めているだけで楽しい。

 本書では、宴を取り仕切る儀典長、大統領のプライベートを任される執事長。彼らの人となりや仕事ぶりに加え、ワインや銀器や、テーブルクロスについてのエピソードに至るまで、エリゼ宮の饗宴に関係するありとあらゆることが紹介されている。とくに通常は一般人の入室が絶対に禁じられていると思われる厨房の中に入って取材を試みる箇所は本書の白眉。19世紀から使われている鍋や調理道具が並ぶなか、兵役代替制度を利用して10ヶ月エリゼ宮で働く若手料理人が、「(エリゼ宮では)学ぶことばかりです。100人、200人といった大人数の料理を一度に作り、どの大皿の装飾も同一にしなければならないこと、55分という限られた制約のなかで、前菜からデザートまで供する手順。いずれもエリゼ宮でなければ体験できないことです」と胸の内を語る。印象的なシーンである。

 本書の最終章は、ミッテランの後を継いだシラク大統領が、アルザス地方の馴染みのレストランでコール独首相を庶民的な料理でもてなすエピソードで締めくくられる。大戦後の西欧世界は、独と仏の強い結びつきを基盤として発展しきた。ミッテラン大統領とコール首相の親密な関係は象徴的で、ミッテラン大統領の葬儀で号泣するコール首相の姿は世界に報道されている。本書によれば、両首脳の友情は「仏独和解の深化を二人で実現していかねばならない、という理性的な認識に根ざしていた」ものであったが、そうであるからこそ、互いの国家を背負い激動の13年間を共有した二人の関係は、この世で唯一無二のものであったに違いない。ミッテラン大統領が最後にコール首相をもてなした心のこもった饗宴のメニュー、最後の定期首脳会談後にコール首相が病のミッテラン大統領をヘリが見えなくなるまで見送ったエピソードには、思わず感動してしまった。その後も両国の蜜月は続いたが、債務危機に揺れる現在、欧州が変わらず一枚岩でいられるか、仏・独は新たな覚悟と努力を示す局面に迫られている。

 ちなみに西川氏は、現在も「Foresight」誌(http://www.fsight.jp/
)上で晩餐会のメニューから国際情勢を読み解くコラム「饗宴外交の舞台裏」を執筆されている。関心のある方はぜひこちらもチェックを。

(2001年、新潮文庫)

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