Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

マーシャ・ガッセン 『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』

 100万ドルの賞金が掛けられた難問・ポアンカレ予想を解き世界中の注目を集めながら、フィールズ賞の受賞を拒否、世間との交流を断ったユダヤ人数学者・ペレルマン氏の半生を追ったルポルタージュ。同氏は一切メディアからの取材に応じずその素性は謎に包まれていたが、同氏と同じ境遇を持つジャーナリスト・ガッセン氏による関係者への取材を通じて、その数奇に満ちた生涯が浮き彫りになった。
 
 ペレルマン氏は幼少時より数学、特に幾何学の才を磨き、16歳のときに国際数学オリンピックに出場、満点を取って金メダルを獲得する。ソ連という「イデオロギーの砂漠」に生まれながら、ユダヤ人という出自でありながら、母や師をはじめとする周囲の助力を得て、彼は政治的な干渉を受けることなく、自らの才を高めていった。
 やがてグラスノスチが到来、彼は海外で活躍の場を与えられる。その先導役となったロシアの数学者・グロノフは、「彼が幾何学の道に入ったとき彼は最強の幾何学者だったよ。この世界から姿を消す前の彼は、間違いなく、世界一だった」と彼を評する。しかし彼は、大学の教員など純粋な数学以外の能力が求められる機会にはうまく適応することができなかった:「彼には道義というものがあって、それを守り通している。それがまわりのみんなを驚かせるのさ。よく言われるように、彼の行動が奇妙に見えるのは、彼が社会規範にとらわれずに、誠実に行動してしまうからなんだ。この社会では、ああいう振る舞いは好まれない。・・・彼の従う理想は、科学が暗黙のうちに受け入れている理想だよ」。
 2002年、数年間消息を経った後、彼は2年前に賞金が掛けられたばかりの―21世紀中に証明されるかどうかも分からなかった―7つの問題のうちのひとつ・ポアンカレ予想の証明を、査読付きの論文雑誌への掲載という学界のプロセスを無視して、インターネット上で公開してみせる。世界中の数学者による奮闘の結果証明の正しさが確認された後、幾多の大学やメディアが彼に接触を試みるが、彼はそうした世間との関わりを一切拒絶する。彼にとっては問題を解くことこそが全てであり、査読という学界のルールや、業績に対する世間からの評価は価値のないものだった。

 当方は数学者でも何でもないが、彼の価値観や生き方には共感するところがある。数学の問題を解いたり定理を証明したりすることに成功したときの喜び、真っ白な紙に数式やロジックが完璧に築かれたときの快感。実際の人間社会は往々にして数学で解することができる範疇を超えて複雑怪奇だが、凡人はその中で生きていかざるを得ない。そうであるからこそ、自身の純粋な価値観を徹底的に貫き通すペレルマン氏の生き方には、少しの寂寥感とともに、共感と尊敬の念を抱かずにはいられないのである。

(邦訳:青木 薫 訳、2009年、文藝春秋
 原著:Masha Gessen "Perfect Rigor" 2009.) 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/F/Foomin/20190829/20190829192842.jpg