Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

リヒャルト・カプシチンスキー 『皇帝ハイレ・セラシエ エチオピア帝国最後の日々』

 先日エチオピアを訪れた際、ハイレ・セラシエ1世が住んでいた宮殿を見学した。「皇帝のトイレが見れる」と聞いて期待して行ったのだが、大して大きくもなく、すごい装飾があるわけでもなく、普通の陶器製の小さな便座だったのが印象的であった。
 さて本書は、ハイレ・セラシエ1世の晩年と没落を克明に記録したルポルタージュである。クーデター直後に取材を開始したカプシチンスキー氏は、宮殿の召使いや役人への丹念な聞き取り調査を行った。同氏の取材力・表現力には素直に舌を巻く。

 取材対象者の語り形式で綴られる物語は、そこら辺のフィクションよりも余程面白い。たかだか35年前まで、かような封建体制がこの地上に残っていたとは。9時から10時までは執務の時間(人事を言い渡す)。10時から11時までは金庫の時間(臣民の陳情に耳を傾け国庫から直接金を渡す)、11時から12時までは大臣の時間、12時から13時までは裁判の時間。大臣から下級役人に至るまで統治機構の全ての人事は皇帝が差配し、昇進にあたってのものさしは皇帝への忠誠心のみ。

 経済の疲弊と統治機構の腐敗が遠因となり、軍部によるクーデターの準備が徐々に進められる。メンギスツ少佐のグループが、皇帝の神権と王権を排除するのにどう腐心したか。国務大臣の摘発によって発覚した宮廷の不正蓄財リストが、国民の不信感を最大限に煽った。クーデターの最終段階、皇帝はただ一人の召使いを除いて、文字通り宮殿に孤立させられる。「最後の召使い」によって語られる皇帝の宮廷生活最後の日々は、寂寥感にあふれ、まるで映画の一幕のようである。

 ハイレ・セラシエ1世は長らく1975年に病で没したとされているが、後の調査によって、メンギスツ政権によって殺されたことが明らかになっている。自らの権力と神格を保つことに腐心した皇帝は、経済と外交については無策であり、臣民にとって決して良い統治者とはいえなかった。その後の社会主義政権も、経済を混乱させ、国民を飢餓に導き、隣国との無用な紛争を引き起こした。エチオピア国民の悲劇は、1990年代まで続くことになる。
 
(邦訳:山田 一廣 訳、1989年、ちくま文庫
 原著:Ryszard Kapuscinski 'The Emperor' 1978.)