Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

フィリップ・ゴーレイヴィッチ 『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』

 フリーライターのゴーレイヴィッチ氏が、1994年ジェノサイド直後のルワンダを訪れ、関係者への取材を丹念に重ねて綴ったノンフィクション。ルワンダのジェノサイドを取り扱った本は数あれど、関係者へのインタビューと人間心理への洞察の深さにおいては類を見ない。

 『ホテル・ルワンダ』にも登場する「ホテル・デ・ミル・コリン」の支配人・ポール・ルセサバギナと、聖家族協会のウェンセスラス神父との対比は印象的である。ポールは、唯一残っていた電話回線を頼りに、西洋諸国やメディアに首都キガリの惨状を毎日のように訴え続け、支配人としてのあらゆるネットワークを駆使して、ホテル内に流れ込んできたツチ難民約1000人を守り抜いた。一方、同様に電話回線が使用可能だった聖家族教会では、教会に逃げ込んだツチ難民は殺人者たちに引渡され、電話回線を使われることがなかった。ウェンセスラス神父は、後年インタビューでこう答えている:「私に選択の余地はなかった。民兵の仲間のふりをしなかればならなかった。もしわたしがそうしなかったら、全員皆殺しにされていただろう。」
 
 ジェノサイドの進行を黙認した国際社会の罪は大きい。妹とその家族を生きたまま屋外便所に投げ捨てられたエドモンは、「みんなルワンダに来ては和解を口にする。こんな侮辱はない。1946年にユダヤ人に和解を訴えることを想像してみればいい。あるいは長い、長い時間がたてば可能かもしれないが。そんなのは他人に言われることじゃない。」カガメ副大統領の側近であるドゥサイディは、「(国際社会は)われわれが全て忘れてしまえばいいと思っている。だが、忘れるためには、まず生存者が正常な生活を送るための手助けがなければならない。そうなってはじめて、あるいは忘却のプロセスを始められるかもしれない。」
 ゴーレイヴィッチ氏の国際社会への視点は厳しく、皮肉に満ちている。「ルワンダは、世界に、ヒトラーユダヤ人虐殺以来もっとも明白なかたちのジェノサイドを差し出した。そして世界は(フツの)人殺したちが支配する(ザイールの)難民キャンプに毛布と豆と包帯を送り、今後はもう少し行儀良くふるまってくれるよう期待したのだ。」
 
 ルワンダのジェノサイドは、多種多様な要因が重なり合って発生したものである。「作られた」フツ・ツチ両民族の長い鬱憤の歴史の後に、ハビャリマナ大統領が搭乗する飛行機の撃墜をきっかけとして、フツの過激派が暴走した。ルワンダ人の悲痛は、外部の介入がどうあれ、結局のところはルワンダ人が自分たちで乗り越え、癒していかねばならないものである。いっぽうで、人道的介入の権限と実力を有する先進諸国(国際社会)は、二度とこのような悲劇を黙認してはならない。人道的な危機が続くコンゴ民主共和国東部、ソマリアダルフールアフガニスタン。一朝一夕には解決しない問題だが、過去の教訓を踏まえて結論を述べれば、先進諸国による絶え間ない政治的圧力と、国連から授権された軍に十分な兵力を与えることがきわめて重要である。その土台として、先進諸国の政府を動かす市民/世論の圧力、マスメディアが果たすべき役割も大きい。大げさな言い方かもしれないが、人類全体の叡智が試されている。

(原著:Philip Gourevitch. "We wish to inform you that tommorrow we will be killed with our families: Story from Rwanda." 1998
邦訳:柳下 毅一郎 訳、2003年、WAVE出版)


【以下、2012年11月18日追記】

 ジェノサイドの舞台となったルワンダの首都・キガリにて、改めて本書を読み返してみた。本書がカバーするジェノサイド史の幅広さ、取り扱った関係者の証言の幅広さ(カガメ副大統領ら当時のRPF幹部、ジェノサイドの被害者、加害者、人道支援関係者・・・)を改めて感じるとともに、1994年のジェノサイドが決して突発的・偶発的なイベントではなく、周到に準備された様々な要因の帰結であることを改めて理解させられた。本書を含めて様々な関連書籍を読みあさり、自分なりにジェノサイドの直接的な要因を3点にまとめると、以下のようになる。 
・経済的に追いつめられた旧権力(アカズらフツ守旧派)による仮想敵の設定
・隣国で存在感を高めるツチ反乱軍(RPF)の現実的な脅威
ルワンダにおける、王制以来のトップダウン型の組織社会文化
 これらを背景に、ジェノサイドに向けた準備(虐殺実行部隊としてのフツ難民の若者らの育成、山刀や火器の大量調達、ラジオ・新聞でのプロパガンダ、粛清対象者のリスト作成など)が進められ、ハビャリマナ大統領の暗殺を契機として、一気に「本番」が実施された。ゴーレイヴィッチ氏の言を借りれば、「1994年のルワンダを、外の世界は崩壊国家がひきおこす混乱と無政府状態の典型だと見なしていた。事実は、ジェノサイドは秩序と独裁、数十年に及ぶ現代的な政治の理論化と教化、そして歴史的にも稀なほど厳密な管理社会の産物だった」のである。

 また本書は、ジェノサイド当時の描写に留まらず、それ以降の大湖地域情勢における国際社会の対応や、現在に至るルワンダの国内社会の問題の萌芽についても触れられており参考になる。UNHCRをはじめとする当時の国際社会は、ルワンダ軍(RPF)の残虐行為を理由にザイールのフツ系難民の帰還を引き延ばす判断を幾度となく行ったが、ゴーレイヴィッチ氏は「なぜ、くりかえしくりかえし、国際社会の同情はフツ至上主義のできあいの嘘に寄せられるのか」と、フツ過激派の牙城となった難民キャンプへの支援を続ける人道主義者への苛立ちを隠さない。そして代わりに、当時RPFの残虐行為で西欧社会から告発されていたカガメの言を読み解く:「カガメはジェノシダレは一緒に逃げていた者たちの死にも責任があると考えていた。『彼らは純粋な難民ではない。ただの逃亡者だ。ルワンダで人を殺したあと、正義を恐れて逃げ出した人々だ――殺人のあとで』そして今も殺している。」当時のフツ系難民の中には、ジェノサイドに関与した加害者、そして彼らに付き添わざるを得なかった無実の市民(「人間の盾」ないし人質として一緒に連行された人、加害者の家族、そして多くの幼い子供達)の両方が居たはずである。カガメは、国際社会の無能に早々に見切りを付け、無実のフツ系難民の犠牲を承知の上で、ルワンダの利益(フツ過激派の根絶とザイールに対する影響力の確保)を担保する道を選んだ。これは西欧の人道主義者にとっては容易に看過しがたい選択だった。いずれにしても、国連安保理(西欧諸国)が軍事力での問題介入を拒んだ瞬間から、ベストな解決策(難民キャンプからの武装勢力の切り離し)に至る道は閉ざされていた。

 他方でルワンダ国内でも、ジェノサイド直後から、ジェノサイドの加害者と被害者との間の対立、戦争を生き延びた人々の帰還したツチ族エリートへのわだかまりが渦巻いていた。過去10年近くにわたりルワンダは稀有な経済成長を続けているが、同時に経済格差も拡大しており、こうした国民間の対立が真に解消されるまでには、究極的にはさらに数十年の時間を待たねばならないだろうと思う。また本書では、コンゴ大戦の直前、ザイール政府によるキブ州のツチ系住民の強制追放についての当時のルワンダ防衛省高官の言:「ザイールが自国民を追放して我々に押し付けてくるなら、土地もこっちに頂こうじゃないか」が紹介されているが、これは現在に至る南北キブを巡るコンゴ民主共和国ルワンダの衝突の連鎖を示唆しており、昨今のM23(ルワンダ政府の支援が疑われる北キブ州のツチ系武装勢力)を巡る問題をみても、この地域が現在も依然として文字どおり火薬庫のままであることに暗澹とさせられる。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/F/Foomin/20190829/20190829194052.jpg