Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

山形 浩生 『新教養主義宣言』

 文筆家・翻訳家の山形氏の処女作で、情報、メディア、経済、文化、さまざまな話題について同氏が書き溜めた論考集。同氏の『訳者解説』がかなり面白かったので、この本も購入。単行本として発売されたのは1999年のことだが、内容は古びるどころか、2010年の今でもまだまだ通用するところが多い。
 
 同氏の基本的なメッセージは、平たく言ってしまえば、日本人はもっと危機感をもって教養(=価値判断力)を身につけるべし、というところにある。
 「仕事でもそれ以外でも、毛唐やアジアのエリート連中を相手にしているときによく感じる『ああ、このままではこいつらには勝てない、おれ一人でサシでなら余裕で勝てるけれど、日本のエリート集団VS香港やシンガポールやタイのエリート集団、という勝負になったときには、たぶんやられてしまう』というあの感触。こいつら、明らかに日本側のカウンターパートの平均よりも知的ベースが広いし水準も高いな、という感触」。うんうん、うなずける。自分は、(香港は知らないが)シンガポールやタイで一般にエリートと呼ばれている人々が、どれだけ高い知力・コミュニケーション力・精神的タフネスを備えているかは良く知っている。自分も含めて日本人の底力が(世界全体でみて)浅い理由は、きっと日本社会の構造的なところにあるのだろうが、このままでは携帯電話市場よろしく、日本全体がガラパゴス化してしまいかねない。今から100年後、経済大国となったインドや中国、いやインドネシアベトナムあたりの人々からも、「日本?ああ、あの特異な進化を遂げた鎖国の島ね」、などと呼ばれてしまう可能性は大いに否定できない。
 「バブルの原因の一つは価値判断力/教養のなさなんだね。そして大事なことだけど、これは金融専門家としての知識量にはなんの関係もないってこと。どんなに金融工学を駆使しようと、複雑性妙なファイナンスのスキームを組めようと、いちばん根底にある価値の判断ができなきゃダメなのだ。『もとがダメな事業は、セクシーなファイナンシングでは救えない』というのはファイナンスの授業で真っ先に習うこと」、とも。エピローグでは、「(21世紀に)労働力はぜったいに不足してくるんだ。ただし今みたいなホワイトカラー労働の需要があるかな?多くの人間は自前の判断力を持たない付和雷同の無毛サルにすぎない。そしていまの企業や官僚組織のうち、ホワイトカラーで本当に仕事をしている人間はごく少数だ。あとはそれにたかってる寄生虫で、それがお互いにへまをしあって仕事を作りあい、会議と称する顔色うかがいごっこで生産性を下げているだけ」と、読者にとってかなり耳の痛いセリフが並ぶ。お互いに責任を回避しあい(日本の中だけでの)横並びを常に意識する日本人の特性は、ウォルフレンが20年も前に明らかにしているところだが(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/29868194.html
)、その価値観に安住したまま、果たして日本人は21世紀という怒涛の荒波をくぐり抜けてゆけるのだろうか。明治初期に政治家やテクノクラートが見せたような底力を今の世に再現するためには、何が必要なんだろうか。

 本書の本編で並ぶ数々の論考も、個人的にさまざまな新しい視点を提供してくれる。「情報処理によって意思決定が加速されるのには限界があるのだ。・・・勝手な仮説ではあるけれど、人間の生物としての肉体的な限界がそこにはあるのだろう」「手っ取り早い結論は諸悪の根源である・・・結論よりその思考の過程のほうがずっと大事なんだ(という持論を持つ蓮実重彦氏を支持している)」「消費税を7%にあげよう。・・・これはある意味クルーグマンの議論と似ている。ぼくたち消費者からすれば、インフレも消費税アップも同じこと」、などなど。情報処理、脳、分子生物学、マクロ経済、ファイナンス、民主主義、セックス。日々の知的好奇心をふんだんに湧き起こしてくれる、たった760円の、すばらしい文庫本。

河出文庫、2007年)


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