Foomin Paradise (読書ブログ)

経済や歴史、フィクションを中心に読んでいます。500冊までもう少し。

山口 彊 『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』

 
 先月飛行機のなかで「Economist」誌を読んでいたら、まるまる1ページ使って山口氏の訃報が報じられていた。日本人のobituaryが載ることは珍しいので「誰だろう」と読み始め、眼が釘付けになった。現代の日本人の中で「二重被爆者」という言葉をご存知の方はどれだけいるだろうか。自分は、小学生のころ広島に2年間住んでいたことがあったにも関わらず、恥ずかしながら今まで知らなかった。現代におけるもっとも重要な価値観のひとつは、まぎれもなく反戦・核軍縮であり、それを明確なかたちで教えてくれる本は、こんなにも身近なところにあったのだ。
 
 1945年6月、山口氏は、会社の造船の仕事で請われて広島に向かった。3ヶ月の勤務の最終日前日・8月6日、会社に向かった山口氏の頭上で、大火球が炸裂した。爆心地から約3km、左半身に大やけどを負い左耳の聴力を失った。翌7日、山口氏は何とか徒歩で駅に向かい、長崎行きの汽車に乗り込む。後に山口氏は、太田川の川面を流れる人間の死体を「筏」になぞらえ、短歌を詠んでいる。9日、半身を包帯で巻いた山口氏は、広島での出来事を報告するために所属する造船会社に報告に向かう。広島の惨状を上司に説明するが、なかなか分かってもらえない。直後、2回目の閃光が山口氏と同僚を襲った。
 
 この自叙伝を読んで印象に残ったのは、山口氏の「生きる」ということに対する真剣で謙虚な姿勢である。「私は人に頼りたくはない。最期を迎えるその一瞬まで、自分で自分を律していたい」「人から言われて、私の心臓は動くのではない。私はただ生きている。生きている限り、迷っても道は見つかるだろう。迷っても結局のところ何かを選ぶしかない。自分で努めないことには解決しない。そうであれば迷いに飲まれ、不安に覆いつくされることはない」「私は91年の歳月をただひたすらに生きてきた。どんなに悲惨なことが起きても、自分がそれに完全に打ちのめされなかったのは、自分の胸のうちを尋ねれば真実がわかるからだ」
 
 また、自身の生い立ち、戦況の変化、広島の惨状、被爆後の経過。きわめて淡々と綴られる筆致も、心を打つ。そこには、感情的な主観、偏ったイデオロギーが一切介在しない。それがゆえに、人間が持つ生命力の強さや核兵器の非人間性が、より強烈なメッセージとなって読み手の心に響く。一方で、「原爆投下が終戦を早めた」という米国でよく見かける論調に対しては、「核兵器の善用など絶対にありえない」と言い切る。
 
 現在、核軍縮はもはや各国共通の政策課題である。米露がまず自国の核弾頭を段階的に削減して範を示さなければならないことは自明だが、一方で、差し迫っている危機:イランと北朝鮮からいかに譲歩を引き出し、核兵器開発を放棄させるか。かなり難しい課題だが、リビアで成功したように、主要国が粘り強く対話と交渉を重ねていくより他ない。その拠り所として、少なくとも日本は、山口氏をはじめとする被爆者の方々の言葉を、必ず後世に継いでいかねばらない。できれば、日本語だけでなく英語やアラビア語でも。
 
                                                  (朝日文庫、2009年発行)
 
 
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